欧州版革新官僚

Hitler's Empire: Nazi Rule in Occupied Europeワイマールの本を読むと比例代表制が心底イヤになる。実証的にはこの印象は誤りらしいが、あまりにもグダグダなので比例代表制がワイマールを滅ぼしたと思いたくなる。当時の人々にも同じ印象は確かにあって、議会のグダグダを厭うゆえにファシズムを歓迎する向きもあった。しかしそこに大衆運動としてのファシズムのジレンマがある。もともとはミュンヘンの地方政党である。根本には政府不信があり分権志向にならざるを得ない。分断議会を超克する強力な中央政府は望むべくもなくなる。党と国が相容れないのだ。


イタリアではムッソリーニは政権に就くや国家に権力を集約して、党員資格は昇進や公職へのチケットに過ぎなくなる。ドイツでは逆である。首長であるガウライター(大管区指導者)はあくまで党の役職である。ヒトラーは自分に近しい党のベテランをガウライターに任命して裁量を与える。彼らはヒトラーに個人的な責任を負い、近代行政とは相いれない属人的な統治をやる。党員を縛る手続きとルールの標準化をヒトラーは嫌がり、こんなことをいう。

Conquest required massive decentralization.


ドイツは、それこそ神聖ローマ帝国以来の筋金入りの分権社会である。ユンカーのヘゲモニー中央政府の介入に抵抗してきた。ヒトラーもその申し子なのだが、分断議会のグダグダに代わって現われたのが党の非集権的カオスであった。


WWIのベテランであるガウライターらに確たる行政手腕があるはずもない。みな短気なレイシストで酒色におぼれる。ヒトラーと同様に属人主義者で地方の行政部門は悉く"personally" に運営される。


内務省にはこれがたまらない。内務省ファシズム以前から集権的で効率的な行政をドイツに導入しようと目論んできた。アンシュルスを好機として、まずオーストリアを集権的行政のモデルケースにしたところ、彼の地のガウライターらによって計画は挫折する。泣訴されたヒトラー内務省の介入を阻止したのである。


内務省はまたヒムラーのSSとも衝突した。人種政策周りの権限がヒムラーに集約されると、SSが他省の領域を侵し始める。ユダヤ人の法的地位について内務省がSSと権限を争う。ドイツ本国の住民についてはSSに口出しをされたくない。


ところが、SSが肥大化すると、内務省に代わってSSこそが党の非集権的カオスからドイツを救いうる担い手となってしまう。SSは選別エリートによるドイツで最も強力な集権的組織である。非属人的で効率的なその組織運用が官僚制と党の重複を乗り越え始める。国家内国家として党を代替もしくは競合するのである。


シンクタンク化した、SS傘下のSDには少壮の経済学者、社会学者、言語学者が集まる。自分たちを規律ある集権的エリートと見なす彼らには反党気分が充満し、ガウライター達を "ageing street-fighters" と蔑む。党のアマチュア主義による混乱を救うのはSSのプロ主義しかないと使命に燃え上るのである。


この手の革新官僚ヴィシー政権にも共通して見られる。グランゼコール出のテクノクラートや行政マンがヴィシー政権に参じ、これで政党や組合に邪魔されず産業やインフラのオーバーホールができるわいと奮い立つのであった。