マーサ・ウェルズ『ネットワーク・エフェクト: マーダーボット・ダイアリー』

ネットワーク・エフェクト マーダーボット・ダイアリー (創元SF文庫)これは邪念であるから、このままでは消化に支障をきたす。邪念は邪念に見えないように再解釈されながら、解釈の過程を通じて解釈者の性質にも感化を与えてしまう。解釈が逆流した。そこにおいて達成されるのは邪念の受容というより萎えに近い。もはや邪念の対象にならない娘は筋の傍らに置かれ、解釈者が別の邪念を始めるための踏み台にすぎなくなる。この構成ではヒロインの媚びは何だったのかわからなくなる。


作者はヒロインの媚びに自覚的だと思われるが、ともかくその挙措を列挙しよう。

  • アメナは正面で膝をつき、首をかしげて顔をのぞきこみました。余計なことを
  • アメナは空中にむけて目を細め、ゆっくりと首を振りながら小さくうなります
  • アメナは処置台から飛び下りました。「連れていってよ」
  • アメナは、鼻腔にこもった音をたてて、顔を手で隠しました。
  • アメナはエレトラの隣で処置台にすわり、立て膝に頬杖をついています
  • アメナは両腕を振って小躍りしました
  • アメナは鼻水をぬぐって(人間は不潔です)、説明しました
  • アメナは足を引き寄せてかかえこみ、こちらを心配そうに見ます
  • アメナは共同寝室へむかう弊機についてこようとしました
  • アメナは毛布の下で手足を投げ出し、顔を枕に押しつけて眠っています(人間はおかしなことばかりしますが、眠っているときもです)


マーダーボットが「媚びを売るのはやめてください!」と叫ぶ場面がある。しかしこれは調査船への非難であり、邪念をそれとなしに受容したい文芸の要請が非難の対象をずらしている。


媚びとは自律しない個体の仕草である。アメナがデレ始めてマーダーボットに庇護の強請をやり始めると、マーダーボット(受け手)にはもはや彼女が恋愛の対象とならなくなる。むしろ母性愛の対象である。アメナもマーダーボットを母親呼ばわりして、マーダーボットの丁寧語がオネエ化する。たとえば(人間が自分の体を切っていったらこんなことはできませんよ、アメナ)。語尾に名前を付けてしまうこの感覚は前作にはない。


邪念は散らす必要はあるが消失しても困る。邪念の原液では鼻腔が縮むから散らしたい。消失しても縮むことには変わらない。


『ネットワーク・エフェクト』はマキャフリイ『歌う船』を踏襲している。調査船は頭脳船そのままである。しかし邪念の処理問題の余波で調査船と人間の関係が入れ子構造的になる。混乱していると見てよいだろう。ヘルヴァとナイアルが調査船とマーダーボットに置き換わるが、それ以前にマーダーボットとアメナの関係がその相似になっている。アメナとの絡みはマーダーボットを母性化している。これが調査船に対すると母性と母性の関係になってしまい噛み合わない。マーダーボットが『歌う船』に至ったとき、それが唐突に見えてしまう。


前作はASDに市民の独立をリンクさせた。今作では一転してアメナが媚び媚びに依存してくる。前作を踏まえるから余計に媚びが鼻につく。これに関連して、最大の修羅場に至ったマーダーボットはペットボットのミキを思い出してしまう。かつてのミキの人間依存に怖気をふるった彼は修羅場になってミキを理解できてしまう。身を挺して戦闘ボットの攻撃を防いでくれたおかげで、人間たちを救う猶予を得たと回想する。依存を突き詰めると究極の自立に至るこのメカニズムの方が文芸現象らしい。