2008-06-01から1ヶ月間の記事一覧
パーティクルの勉強をしていたら頭が痛くなった。
知性に関して生理学的な用意がないとしても、文芸的な技芸として、造形の機械的信頼性を損なわない限りで、何らかの起源は検出されるべきだ。逆にいえば、生活の問題について可視的な充実は必要だが、そこに意味を見いだせるようでは悲劇に至らない。イベン…
イベントの分布が違和感のある広がりを保ちながら、そのベタな帰結ゆえに、自らを巻き上げ身を隠さねばならないこと。規則性に癒着しない生活情報の容量が、そこに呼応する自然な曲折をプロットに作り出すこと。構造の密度は、少女と会話が成立するような偶…
けっきょくスピルバーグのオマハ海岸的境地というやつで、題材をいいことにやりたい放題なだけかも知れん。
絵本の方を見て、すげえスリラーだなと感心したのだが、ようやくアニメを観られた。路面電車を破壊する場面で「熱線→衝撃波→テンパる」の段取りがロングのワンカットにまとめられていて映像がおもしろい……が、遠近法をぶちこわしながら客がこちらに向かって…
既視感の対象に予定されたものが前もって予測されたら既視感の歓びは出てこない。あからさまな期待よりも潜在的な期待を探る方が有効である。あるいは、あからさまなものを人為的に隠蔽してやる。もしくは、報われ方にオリジナリティを追求する。
予期の容易さからいうと、ナターシャの萌え騒動はいったん解決を見るのだから、ゴーリキーの性格からして、ああ……これはダメだな感慨は自ずと湧き上がるのであり、実際に破綻へと至っても何か図解的だ。 そもそも戯曲はカットを割りづらいので、プロットの運…
萌え娘の、多分に善意を含んだ造形がキモイわれわれを「キモイ☆」と評しないとなると不自然なイヤらしさ現れ、かえって彼女の品位を貶めるおそれがある。萌え娘の知性と常識が試されてしまうのだ。したがって、キモイといわなくても済むような風景がほしい。…
通勤中にくぎゅのツンデレヴォイスを聴いてると、とうぜんニヤニヤが沸き上がる。しかし世間体があるので、顔にニヤニヤが出てしまっては困る。顔面の幾何はわれわれの心理的な様相に依存するのであるから、通勤でくぎゅを聴いたとしてもニヤニヤできないの…
虚ろに閉塞した星のない空だった。幼女は、物言わぬ暗い海の前景をゆるやかな足取りで歩いていた。重く湿った風が微かな潮の香りを運んでいた。 消え入るような着信音の調べに、幼女は足をとどめた。砂地の柔らかい路に腰を下ろすと、遠い彼方から潮騒の響き…