2010-01-01から1年間の記事一覧
自分への執着が高まると、人の物忘れに寛容ではいられなくなる。もしかの人にとってわたくしの存在が重きをなすのであれば、わたくしとの会話が忘れ去られるはずがない。したがって彼がそれを忘れたとわかると、わたくしには自分の価値が減じられたような気…
アヴィーロワの回想記に晩年のチェーホフとモスクワ駅で邂逅する件があって、発車間際の列車の中で、チェーホフは彼女の娘を膝に抱き上げ、親しげにその顔をのぞき込んだりする。 そこから遡ること十年ほど前、二人が初めて対面したとき、彼女を人妻だと知ら…
迫の待ち伏せに遭遇する連隊本部の話が『華中作戦』に出てくる。陸大の教官歴があって作戦指導も華麗な連隊長はそこでテンパってしまい、近くにいた著者の中隊に迫の制圧を命じる。 迫の発射と弾着の間に20秒あれば2km、という計算になるらしい。待ち伏せの…
ヤルタに移住したチェーホフは、荒野から切り開かれた自邸の果樹園が、数百年後に地上を花園に変えると夢想する。しかし、当人はそれを見ることがない。それどころか肺病で死にかかっている。だとしたら、なぜ彼はバラの手入れや花壇の草むしりに勤しむのか…
南極に現れた巨大セイウチを射殺すべく、機上から「発射」と叫んだとき、あるいは国連の科学会議でジョージ・ファーネスの手がその肩に触れたとき、そして南極基地でオスマン・ユセフと抱擁を交わすとき、池部良は不思議な緊張感でわたしどもを魅了してきま…
語り手が本気で狂ってるとわかってしまう場面がある。鶴田真由が伊勢谷の手にかかる回想で、われわれは『CASSHERN』の紀里谷和明が完全に本気だと知ってしまう。そして、呉宇森がただのオジサンでないことを教えてくれるのが、『蝶血街頭』のカーチェイスで…
ヒロインの造形的な一貫性に引っかかりがあって、ネトゲ廃人賛歌として素直に受け取れない面がある。恋に落ちるのはエンタメの作法として割り切れるし、粗暴な婚約者が敗北する点でも、「嗚呼タイタニックか」といった自虐の悦びに絶えない。しかし彼女が廃…
この映画はドキュメンタリズムの映像コードをいわばイベント絵として割り切って使っていると考えます。たとえばウォンビンを乗せた警察車両が事故る件。わたしはあの場面で、クリス・クーパーが自動車事故に巻き込まれるカットをドキュメンタリズムで処理し…
恋愛に自分の希少性を見て安寧を獲得する戦略は、排他的であるがゆえに脆弱である。当事者でない限り、ノロケ話から希少性の実感を引き出すのはむつかしい。ワナビ脳に比べれば社会的な担保に欠けると思われる。 既述であるが、普段の生活において恋愛とワナ…
童貞は恋愛の何たるかを扱えないから、愛の立ち現れ方は遠隔的で不可逆だ。これは『ウォーク・ザ・ライン』で考えた恋愛の予定説と関連がある。天使はひとりしかいない。ではどうやって天使を確証できるか? 『秒速』のタカキくんは、種子島で花苗を参らせ、…
『プライベート・ライアン』は「ガーランドとトンプソンの神話」をクリアするためにあれはあれで頑張ったのではないか、と先頃考えた。 +++ 去年の春だったか、MD版のアドバンスド大戦略に突然狂った自分は東欧に侵攻し、破壊の限りを尽くした。この衝動…
脱獄ものに『砂の器』を組み込んだコンセプトで奥行きがある。『砂の器』で言えば、「加藤嘉がまだ○○」という発見が本作にもある。課題を上げれば、この組み込み方にやや拙速のきらいがあって、板尾の動機が判明しても、その執拗さに不可解がやや残る。そこ…
もしこれが、女の好意を誤解した童貞の物語であるならば、よくある残虐な話で終わってしまう。そうなると、寅の立場に身を置けば、吉永小百合は理解の不能な憎悪の対象となりかねない。われわれは、小百合のモンスター性の中に眠る、彼女の理解可能な造形を…
『女は二度生まれる』('61)は富士見町の花街が舞台で、隣接する靖国の境内が時折ロケーションに用いられます。境内の様子は半世紀後の今日とあまり隔たりがありません。若尾文子と藤巻潤のダイアローグが境内の中で長々と進行すると、時代の見当識が危うくな…