2016-01-01から1年間の記事一覧
正反対の資質を持つ二人の男が投入され、どちらが社会的な淘汰圧を耐え凌ぎ生き残るか、それを試そうとする映画なのである。イケメンの体育会系、宮尾俊太郎に北川景子が惹かれてしまう。ところが彼女には許嫁の甲本雅裕がいる。この男二人の対比がマンガな…
先日『大海信長伝・下天II』を十数年ぶりにやって、このゲームの好きだったところをいろいろと思い出した。下天IIは今でいうならばパラドゲーである。17世紀前半が舞台で日本しか担当できないのだが、インドまで行くことができる。 武将の能力値の可変性が高…
例のステイサムのCMを見ると、彼が作品に応じて性格を分化させる個体ではなく、ステイサムという恒常的な現象として見られていることがよくわかる。多くの作品においてステイサムはダークスーツの禿へと還元される。殊に本作ではダークスーツへ到達する過程…
この物語が到達する結論には、悲惨なようでいてどこか明朗なところがある。ラストカットを構成する視座が客観的で、それが救いになっている。それまでの物語はタカキ君か花苗の視点によって担われてきた。ところがタカキ君と明理が立ち去り今や無人となった…
『四月物語』の松たか子は無能の人であった。何を楽しみにして生きているのか見当がつかず、その行動の意味するところは不明瞭である。物語の進む目的や解決すべき課題が隠されるためにわたしたちは苛立ってしまい、その余波として松を無能と思ってしまう。…
その男にとってあの女はどれほど希少な存在なのか。あるいはその女はあの男のどこに惹かれたのか。劇中にあって恋愛感情を誘発して然るべき個人の属性は、たとえば長澤まさみに関していえば記号的といえるほど露骨に設定されている。クレーマーをあしらう長…
ウォシャウスキーの『スピード・レーサー』を連想したのである。CGI車輛と本編が絡む構成が類似している。もっとも、多くの商業アニメと同様に『ガルパン』はCGIとセル芝居のカットを基本的に分離する形でシーンを構成しているので、『スピード・レーサー』…
『シン・ゴジラ』は会議室映画ではない。むしろ管制室映画の成分が濃厚である。作中でも語られる通り、第1形態に対応する会議ではすでに結論が決まっていて、情報を集約し共有する場として活用されている。それはあくまで管制室であり、会議を娯楽物にする対…
第1形態の出現から最初の上陸に至る場面の、会議室映画あるいは管制室映画としての精密さは、文明批評を可能にするほど卓越している。これらの場面では想定外という言葉が頻用されるが、自然災害のアナロジーとして事態が把握されている限りでは想定内にとど…
本作における長澤まさみのウエイトを考えれば、イメージビデオと見紛うような冒頭のカットがよくわからない。映画が始まると、鶏ガラのような脚を画面が舐め回す。それはかつて長澤まさみと呼ばれた美少女の残骸である。ここまで執拗に長澤の脚を舐めるのだ…
タイトーのスカイデストロイヤーがすきだ。このゲームには主人公補正の不条理さがよく表れている。ゲームの中でわたしたちが搭乗するのは機銃と魚雷を無限に積んだゼロ戦である。対するF6Fは謎の火球一発を放ってくるのが関の山である。 『サウル』の画面は…
人に挙動がなければ、そのキャラの人となりを知ることができない。挙動を引き起こすには事件が必要だ。キャラの性格造形は事件に対するその人の反応の仕方を通じて描かれる。 この理屈からすれば、冒頭の15分が奇妙なのである。謎の高原をエレン一行が遊山し…
太田守正『血別』と盛力健児『鎮魂』が共有する問題意識は、渡辺芳則という人物の解明にある。盛力本は渡辺を批判し、太田本は盛力本を批判することで渡辺を擁護する。この両者は渡辺という人物の造形構築について補完関係にある。ところが、両本を参照した…
物語から提示される課題はふたつあるように見える。ひとつは怪物のエスカレーションの不可解さである。彼女は自らの命を犠牲にしてまで嫌がらせを敢行する。これが理解に及ばない。彼女は何を破壊しようとしていたのか。 課題のいまひとつは父親に負わされる…
離婚をした男は復縁を望んでいる。あるいは離婚に踏み切れないでいる。いかなる状況であれば男にかかる未練が残るのだろうか。互いに憎悪があれば未練は残らない。あくまで男が捨てられた状況が必要である。 近松秋江が捨てられたのは甲斐性がないからだった…
池松壮亮の行動が不可解なのである。家路を急ぐ宮沢りえを彼は追う。後に判明するように池松は宮沢に惚れているのだが、見ているこちらとしては、おそらく20も歳が上の萎びたおばさんにまさか惚れているとは思いもしないから、この地下鉄のホームで行われて…
仙太郎が新橋の高架下を潜ろうとすると、その向こうに旧知の姿を認めた。詩人のナカムラ秀峰である。昨日の徹宵の飲で消耗著しかった仙太郎だったが、迎え酒のつもりで、半ば蛮勇を振るって、秀峰を風月に連れ込んだのだった。 「どうだ。もうそろそろ書けそ…
台詞を言っている相手のカットとそれを聴いている人物のカットがつながれば、受け側の心情が焦点化されやすい。ひとつの理由として、しゃべらない方が表情の操作がやり易いからだろう。 +++ 『ザ・マスター』の最後でホアキンとシーモアが会話している。…
山一抗争の顛末が明らかになった今日から見ると『激動の1750日』にはつらいものがある。 この話で中条きよしは中井貴一に心服しきっている。幹部会で見せた中井の胆力に「胸があつうなったわ」と感嘆する。ところが今日のわたしたちは知っている。実際のとこ…
真中は川口春奈グラビアの激写したもの。下は佐野ひなこグラビア。
仕事ができないという属性をキャラクターに設定すると、次に、無能という負い目によってどのような恥辱や被害がもたらされるのか描画する必要が出てくる。課題を解決しようとする意欲がそこで具体的となり、わたしたちの共感が生まれる。 +++ ドン・チー…
ゴシマ男爵の使いで鎌倉を訪れた仙太郎は、半僧坊にあるオガサワラ伯爵の邸宅を訪ねた。男爵と伯爵はアニメ仲間だったから、用件が済むと自然、マク〇スΔの事に話題は及んだ。 「ゴシマ男はどうかね。やはりあの瀬戸麻〇美の、ツンツンしたのがええんか」 伯…
吉岡秀隆の登場場面は衝撃的だ。望遠圧縮された坂道の向こうから彼が出てくるのだが、姿を現したのはいかにもアカ崩れで芸大然とした長髪の男なのだ。マンガなのである。ところが、それに輪をかけて事態をおかしくするのが、この男に対する松たか子の反応で…
日曜の午餐に招かれた仙太郎は方南町にあるゴシマ男爵の別邸を訪れた。先日落成した能楽師某の邸宅のことで話は盛り上がった。酔った男爵は羨望の声をあげるのだった。 「地下に能楽堂があるそうぢゃないか。まるで秘密基地だ。カッコいい」 「貴方も作った…
この話のオカルト性を決定づけているのは、娘の部屋に現着した母親の反応に尽きると思う。娘と連絡が取れなくなって丸一日が経っている。合鍵でその部屋の扉を開いてみると、異臭が漂ってくる。 母娘は依存関係にある。彼女は誰よりも娘の身を案ずるはずだ。…
柴又を訪れてみて驚いたことがある。街が小さいのだ。 『純情詩集』の冒頭をここで思い起こしたい。 とらやに帰還すべく、寅が江戸川縁を歩いている。この情報だけを頼れば、柴又の地理について次のような推測が出てくる。柴又駅ととらやの間には江戸川の広…
組織の支柱が失われようとする話が好きだ。ドン・コルレオーネの亡き後、いったどうなってしまうのか。『ゴッドファーザー』のそういう緊張が好きだ。このスリラーは後継者であるソニーの無能に因るものであり、したがって話の課題ははっきりしている。ソニ…
『エヴァンゲリオン』がどうもわからない。少年の煩悶する理由がよく伝わってこないのである。放映時にも薄々気になってはいたのだが、後年、見返してみてると、作品との距離感もあって、シンちゃんの悩みに実体が感ぜられず共感を得られない。 親父との不和…
ディレクターの工藤にはオカルトの神秘性についてまるで頓着がない。その態度は鈍麻なるがゆえに、かえって苛烈なほど現世的に見える。すでにFILE-01の『口裂け女捕獲作戦』から、タイトルの時点で何かがおかしい。捕獲という発想がきわめて現世的なのだ。 …
犯行の動機に委細な社会性を与えてしまうと、創作の観点からすれば不都合な事態が時として訪れる。社会的背景はマクロ経済政策の如何を否応なく意識させるため、犯人の不遇は、経済政策によって緩和され得るようなテクニカルな問題に還元されてしまう。工学…