アニメ

届け電波 『ほしのこえ』と『秒速5センチメートル』

『秒速』のOne more time, One more chance は、その詩の明確さゆえに、キャラクターの心理に強固な拘束を課すことになる。タカキ君、明里、花苗、三者三様の心理がそこでモンタージュ展開されるのだが、この三人を包括するには、詩がタカキ君の心理に寄り過…

わたしたちはズリネタではない 『秒速5センチメートル』

雪中の両毛線に閉じ込められてしまったタカキ君。明里との約束の時間はとうに過ぎてしまった。タカキ君は焦燥する。その吐露の内容がまことに彼らしい。 「あかり、どうか...」 この場面を見ていたわたしは、「待っていてくれ」という願望の台詞が後つづくも…

スペルマ・タイド・ライジング 「コスモナウト」『秒速5センチメートル』

あのH-IIの打ち上げ場面をイメージだと誤解する人がいるらしい*1。「コスモナウト」は宇宙開発とは関連のない青春恋愛劇である。そこに、1分弱8cutを費やしてロケットの打ち上げを挟み込むのだから、場面が本筋から浮きかねず、カテゴリーエラーと採られても…

あの神秘は俗物だった 『言の葉の庭』

はなざーという人はわかりやすい。 タカオ君とのファーストコンタクトに際して、作者は、タカオ君の襟に校章を認めたはなざーをぎょっとさせている。この演出は一見して野暮ったい。伏線が伏線であることをはなざーの驚愕が説明するのだが、説明されたものは…

マチスモの王国 『ア・フュー・グッド・メン』とウテナの暁生さん

『ア・フュー・グッド・メン』は、ジャック・ニコルソン大佐という人間を発見する物語である。隊内の暴力制裁の実体を解明すべく、グアンタナモに乗り込んだトム・クルーズのニヤケ顔は、ニコルソン大佐の顔芸に圧倒されてしまう。わたしたちは、ニコルソン…

秒速五十三光年 宇宙をかけるスペルマ 『言の葉の庭』

作者が自分を投影する主人公に、ヒロインが「やさしくしないで」とすがりついてくる。女に与えた自分の感化にナルシシズムの喜びを認め、作者は打ち震える。恋にのぼせ上がるヒロインの視点は、自分の男前を上げてナルシシズムを煽るための作者のズリネタで…

埼京線に雪が降る 「桜花抄」『秒速5センチメートル』

童貞的な形質にとって、女の好意の符丁は永遠の謎である。岩舟駅の待合室で、来られるかどうか定かではない男を、あの女は待ち続けていた。愛を誤信した男は、南の孤島で妄想を膨らませた挙句、廃人となってしまう。男を待ち続けたあの愛の強度とは何だった…

韜晦した自意識の中心で父権は孤立する 『僕は友達が少ない』

キャラクターの一貫しない言動は、受け手のいら立ちを誘いかねない。われわれは小鷹を憎む。リア充を謳歌するにもかかわらず、殊更にフラストレーションをためてみせるこやつを憎んでしまう。われわれはまた、語り手の自意識もそこで疑っている。あくまで強…

秒速人間宣言 『秒速5センチメートル』

明里を無意識の偽善者と解すべきなのか。「桜花抄」の明里は「タカキ君なら大丈夫」と別れ際に請け負う。ところが、「秒速5センチメートル」ではこれが根拠のない安請負だったことが明らかになる。てめえのせいでタカキ君はおかしくなってしまったのだ。 「…

ループを実感したい 『魔法少女まどか☆マギカ』

イベントを繰り返すほむほむには、動機を醸造する事件の厚さがある。ほむほむ視点で見る限り、まどかも事件を繰り返すのだから、ふたりは事件の厚さを共有しているような錯覚が出てくる。しかしまどかにとって事件は常に初見である。 まどかに経験の蓄積があ…

愛をワナビの担保にする

『ハルヒ』と『耳をすませば』は恋愛を自己実現の担保にしている。たとえワナビの充足に失敗しても愛がある。ハルヒの心理のなかではワナビの充足が失敗していて、恋愛に逃げるしかない。 『狂い咲きサンダーロード』は真性童貞映画だからワナビの担保として…

髭メガネ爆誕・第3新東京市

『女は二度生まれる』('61)は富士見町の花街が舞台で、隣接する靖国の境内が時折ロケーションに用いられます。境内の様子は半世紀後の今日とあまり隔たりがありません。若尾文子と藤巻潤のダイアローグが境内の中で長々と進行すると、時代の見当識が危うくな…

化物語

こんなイヤらしいオサレアニメごときに......くやしいものだ

スカイ・クロラを見た

これはよいね。ティーチャー=俺ということで、ここはひとつ。

地球の片隅で白いハトを飛ばす

ロマンティシズムの映像文法は、対話や振る舞いの間合いに心理の説明を託します。ダイアローグで費やされる間合いの長短が、ロマンティシズムとリアリズムを分けるのです。 リアリズム文法で作られた『仁義なき戦い 頂上作戦』('74)とロマンティシズム文法で…

俺の黄泉を恋ふる記

そこまでチャラ夫にたらし込まれておったか、と思えばくやしいし、そもそもこんなチャラ夫にたらし込まれた黄泉って何ぞ、という造形不信だって否定できぬ。俺の嫁としての黄泉の素質を疑わせるようでいて、実のところチャラ夫にすら及ばない俺の不甲斐なさ…

リアリズムと萌えは相性が悪い

『タイタニック』のローズが凍死したジャックを蹴落としたとき、語り手はキャラの変化する意識を記述的には説明しない。アニメがよくやるように、回想フラッシュを焚きつけて、心境がここで変わりましたと合図を送ることはしない。リアリズムの文法で映画を…

ツンデレは制御された墜落である――『とらドラ #08』

ツンデレには、意識の配向を操作する作法と訓練が必要だ。娘がツンツンしておるなと自覚的に接してはイヤらしくなる。しかし猛り狂う娘に主人公男が鈍感すぎると、彼の造形の信憑性が疑われ、その視点が信用ならなくなる。われわれにはあからさまなのに、主…

とらドラ

伝統芸能とわかっておるのだが体が勝手にゲヘヘしてまう。

とらドラ! #06

亜美がストーカーをボコってるのは図像的に明かである。なのに、竜児のモノローグでわざわざ説明を上書きするのはなぜか。リテラシーの強迫観念とはいえるが、あえて記述の野暮な上書きをせねば観察者の一貫性を温存できない、という苦しさもある。 このお話…

とらドラ!

たまらんのう

PICA-DON

絵本の方を見て、すげえスリラーだなと感心したのだが、ようやくアニメを観られた。路面電車を破壊する場面で「熱線→衝撃波→テンパる」の段取りがロングのワンカットにまとめられていて映像がおもしろい……が、遠近法をぶちこわしながら客がこちらに向かって…

ARIA The ORIGINATION #13

プリマに昇格して才能問題が解決を見たのだから、負け犬のなめ合いは、loserの定義を見直さないと継続できない――われわれはどこかしら寂しい負け犬である。したがって、アリシアへ視点移動を行い、彼女の感化のリソースを灯里と釣り合うように減じねばならぬ…

ARIA The ORIGINATION #11

臨場した天才から見れば、凡才は成長の生け贄にすぎないが、負け犬は負け犬で、天才の感化を利用するような、ただでは転びたくない貧乏性がある。確かに、天才の副次的効果として凡才の成長が促進されても誤差の範囲だろうから、そこに合理化を期待するのは…

ARIA The ORIGINATION #05

灯里の「恥ずかしい台詞」が藍華によって応酬されないとなると、あの不自然な舞台演技は行き場を失い、物語の規則性を汚染するおそれがある*1。殊に、この話数の恥ずかしい台詞は冗長でわざとらしく、それだけにぞんざいな扱いが違和感を残すように感ぜられ…

ARIA The ORIGINATION

恥ずかしい台詞がやりすぎて、でっかい人生の話に飛躍すると、たかがバスガイドぢゃねえかwww、と興醒めに陥るリスクがある。でっかい人生の当事者にはそもそも恥ずかしい台詞をひねる時間的な担保がない。だからシナリオの課題には、ウンディーネに要求され…

テレビ『バトルアスリーテス大運動会』

神崎あかりの堂に入ったヘタレ振りにわれわれが移入できるのはよいとしても、後々、彼女の才能が発覚すると、その効果は無効になりかねないし、あかりを保護する一乃の万能感にも依存できなくなる。むろん、性愛の様相を呈する彼女らの友情をムフフと中年親…

School Days

罹災した狂気はむしろ利用してやらねばならぬ。バーサーカーに出来ないことはない。言葉の格好良さとはそうした前向きな狡猾さにあって、殊に世界を淡々と始末する所作になると、彼女の自失感は職人の明晰な理性と区別がつかなくなる。もっとも、自覚的に利…

School Days

伊藤誠という青年は不思議な人で、次々と娘を猛り狂わせゆくその凶悪な色魔の性質について、特に理由が付されたりはしない。 いや、これはもともとエロゲであるから、愛に理由はないのである、というのであれば、まだ理解はできるし不可思議だという程のこと…

恥ずかしい台詞禁止

灯里のいささか不自然な浪漫主義は、『ARIA』を知る者にとってみれば精密で確実な予期の悦びでもあって、つまり、かかる不自然な恥辱感は、それが発せられるや否や、藍華の悲鳴を引き出すことで贖われるはずなのだ。恥辱に苛まれる藍華の錯乱や突っ込みを被…