映画

『今度は愛妻家』(2010)

人間の正当化の力を思い知らされるのである。薬師丸が今後家事はやらぬと宣言する。ところが、すでに部屋は雑然としていて違和感を覚えたのだ。が、薬師丸が旅行に出ていた設定に促され、部屋の散らかりを合理化してしまった。帰宅してまた旅に出る彼女に不…

『花束みたいな恋をした』(2020)

性格の一貫性について不審な点は間々ある。別れを切り出す土壇場になって、冷め切ったはずのふたりが感情を取り戻してしまう。それだけ盛り上がる余力があるなら、別れる理由が消えかねない。あえて回想で盛り上がるのなら、別れた後に持ってくるのが定石の…

『KCIA 南山の部長たち』 The Man Standing Next(2020)

政治を儀礼化されたスリラーにするのは、政治日程と数の原理がもたらす抗争である。タイムスケジュールは正統性の調達を競う障害レースを設定する。日程は事件を物化するためのハードルである。体制が違えどこの手の政治スリラーは再現可能だ。たとえば『ス…

狂女考 『セーラー服と機関銃』『二代目はクリスチャン』

薬師丸ひろ子も志穂美悦子も共に狂女でありながら、作中でたどる狂気の軌跡は逆である。前者は狂気を理解する物語である。後者は理解不能になる。 薬師丸は初期相米のヒロインたちと同様の、天然ゆえにリスク選好に走ってしまう一種の狂人である。佐藤允、三…

『スパイの妻』(2020)

相変わらず変な映画なのである。蒼井優は古の女優演技を不気味なほど的確に形態模写する。高橋一生の9ミリ半フィルムもいかにも戦前のホームムービーだ。これだけ見れば『カメレオンマン』(1983)だが、蒼井の復古調を捉えるのは飽くまで現代テレビドラマの質…

『ボーイズ・オン・ザ・ラン』(2010)

なぜダメな自分が愛されたのか。女の器質に根拠があった。女は恋愛体質である。その愛は無差別であるから男の性能は問われなかった。ところが女の器質は物語の根本的な動機を掘り崩しかねない。男は成熟したオスになって配偶者を得たい。だが、女の無差別な…

『罪の声』(2020)

星野源の印象がよくない。彼は世代的にロスジェネだが、父親のテーラーを相続して就職難とは無縁である。市川実日子との間には一女がある。市川は相変わらず地味カワイイから益々腹立たしい。絵に描いたようなこの幸福な男がいくら我が身を嘆じたところで反…

『星の子』(2020)

アンビリーバーが野蛮人に見えてくる相対化が話の趣旨だと思われる。が、殊に公教育の場では、生徒の信仰に対して公共の福祉に抵触しない限り相対的な立場を取るのは常識であって、社会的合意があるのではないか、とわたしは考える。この常識に反する岡田将…

死者に自分を奪われる

ミッドウェイ(2019)とID4リサージェンス(2016)に淀む湿っぽいセクシャリティは何事であろうか。オネエ顔のエド・スクラインがスペルマの飛沫のような曳光弾をかいくぐり飛龍の航空甲板の日の丸目がけて250kg爆弾を投じる。飛龍撃沈の引き換えに戦傷したスク…

『渚のシンドバッド』(1995)

田舎に隠遁した浜﨑あゆみを男どもが追う場面は、ギャルゲの懐かしい感じがした。各方面に影響は与えたのだと思う。この浜崎はおそらく『放浪息子』の千葉さおりの原像でもあるのだろう。今更ながらそういう学びがあった。 しかし悲痛な設定の割には慰藉の余…

『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』(1976)

神保町の件までは古典落語の踏襲である。寅が無銭飲食の老人、宇野重吉を憐れんでとらやに泊める。礼をしたい宇野は満男の画用紙に毛筆で何かをしたため、神保町の大雅堂に持って行くよう寅に頼む。宇野が日本画の大家と知らない寅は嫌がる。宇野の描いた宝…

『さよならみどりちゃん』(2005)

この星野真里も困ったキャラクターである。ダメな人なのだが顔がいいから男が寄ってくる。この人を観察する意味はあるのか困惑してしまう。星野がダメな人と作者は気づいているのか例によって訝りたくなる。むろん意図はある。本作は性格の一貫性を損なわな…

やくざと四股名とナルシシズム

やくざの組事務所には独特の時の淀みがある。閑散とした事務所では当番の組員が二三名、ぼーっとしている。基本無職の彼らは暇人でやることがない。 『ヤクザと憲法』(2016)の二代目清勇会の組事務所を眺めていると、初期北野、特に『ソナチネ』(1993)の偉さ…

プリドーはどうやってもぐらを知ったのか『裏切りのサーカス』

感情表出への接近を特権ととらえるべきではなく、それは、当事者性を託し合わせる空間分布の冒険談であるべきだ。その中で、オッサンは、オッサン自身の不行跡な心のはたらきの広がりを受け手とともに知ることだろう。 (シネスケのワイの感想) 映画のジム…

メルヴィルとウーさん

英雄本色のTBS放映版を毎晩見ていた時期があった。後になってLD版を見たところ字幕に違和感を覚えた。TBS版の吹き替えには意訳が相当入っていることに気づかされたのである。キットが捜査から外され部長に抗議する場面でソフト版の部長は「諦めろ」と諭す。…

『寝ても覚めても』(2018)

唐田えりかが東出に惹かれるのはよくわかる。サイコの東出もそうでない東出も性能高いオスである。東出(サイコ)はともかくとして東出(民間)は受け手の共感を惹くように造形されていて、それに成功している。わからないのは唐田である。東出たちは唐田の…

『冬の華』と牛乳

周知の通り『冬の華』(1978)といえば牛乳である。筋だけを見ればコテコテのやくざ映画である本作には、ジャンルムービーにそぐわない生活感、景物の情報量がある。そのアンバランスを象徴する小道具が牛乳なのである。 『冬の華』にとっての牛乳とは何よりも…

『ランボー ラスト・ブラッド』の車中場面

姪を連れて帰る車中のところ。自分は最初姪の視点に同化していて、こんな叔父がいたらどんなに心強いかと羨望した。ところが次の瞬間、ゾっとする。むしろこの叔父にならねばならないのである。 ここでランボーの台詞が始まる。こんな俺でも家族を持てたと死…

『彼が二度愛したS』 Deception(2008)

例によって何も知らずに見始めたのである。冒頭、深夜。会計士ユアン・マクレガーが監査先の会議室で独り溜息をつく。 「結婚してえなあ~」 ここで”DECEPTION”がタイトルインして嫌な感じしかしなくなる。またユアンの文系暗黒路線か。文系男が酷い目に遭う…

内面を錯視させる

『狂い咲きサンダーロード』は人の成長を観測する物語としては変則的な作りになっている。正調の成長話であれば受け手に成長の過程を明示するものだろう。『百円の恋』(2014)では安藤サクラのジム通いを受け手は観察することができた。『狂い咲きサンダーロ…

『Fukushima 50』(2020)

渡辺謙と佐藤浩市の造形については何の問題もない。いつも通りやってもらえば格好はつくだろう。問題は佐野史郎である。彼の造形如何によって物語の政治観が決まってしまうつらさがある。 佐野は当初、ヒール兼コミックリリーフとして振る舞い、世間に流布す…

奉仕の放散と循環 『ルパン三世 カリオストロの城』

トラブルを抱えたヒロインに奉仕する点では、カリオストロのルパンはジェームズ・ボンドに近い。しかしボンドガールへの奉仕には下心がある。カリオストロのルパンにはこれがない。性欲のないボンドがヒロインに奉仕するのだから話は自然気持ち悪くなる。 こ…

『判決、ふたつの希望』 L'insulte (2017)

自動車修理工のオッサンが土方の現場監督でパレスチナ難民のオッサンにヘイトをやる。激昂した難民のオッサンは暴力に及び修理工のオッサンに訴えられる。 話の冒頭に修理工のオッサンが客をたしなめる場面がある。非純正のブレーキパッドを使ってトラブった…

『シャッター アイランド』(2010) Shutter Island

何の予備知識もなく見始めたのである。配役もとうぜん知らない。見てみるとレオは亡妻に呪縛されている設定で夜うなされる。そして夢の中に現われるのがミシェル・ウィリアムズの文系殺しのタヌキ顔であり、その何も考えていない配役に爆笑したのだった。な…

『来る』(2018)

主人公の交代劇がどうにも受容し難い。 妻夫木聡の闇と哀しみはともかくとして、岡田准一と小松菜奈がわからない。この二人は何かにクヨクヨしているのだがその内容に乗れない。岡田は妻に中絶を強いて離婚している。なぜ彼が中絶に強いたのか説明は抽象的で…

徳が敵意を越える

成人した秀頼に家康が初対面する場面が司馬の『豊臣家の人々』にある。秀頼がどんな男に成長したのかドキドキの家康は、駕籠から出てきた長身のイケメンを目の当たりにしてうれしくなってしまう。凛々しさを好む時代の習性が秀頼への敵意に勝ってしまうので…

『七つの会議』(2019)

いつもは大和田と抗争する半沢の傍らでヘラヘラとしていた及川が今作でついに当事者となって香川照之に激詰めされるのである。一種のホラーであり及川も期待通りのストレスフルな反応で沸かせる。が、やはり及川というべきか、この人、半沢とは違った意味で…

『ラストレター』(2020)

終わった恋に呪縛される男はいる。聖化した女にいつまでも引きずられる現象は、本作も含めしばしばフィクションの題材になる。が、これの実作を試みると固有の難しさに気づかされる。メソメソする男の叙述はよいとして、問題は女の方である。聖化するほど男…

『ばしゃ馬さんとビッグマウス』(2013)

この話の麻生久美子は決して不快な人物ではないが、時折、その言動に違和感を覚えるのである。 制作会社を訪れた麻生が売れっ子ライターと遭遇する場面がある。 十年前、東中野のシナリオスクールで麻生はそのライターと一緒だったことがある。彼女は「〇〇…

『散歩する侵略者』(2017)

スコセッシの『沈黙』(2016)は一種のグローバリゼーション映画であろう。その辺の村の爺様が俺よりもよほど流ちょうに英語をしゃべってムカつかせてくれる。村娘の小松菜奈もとうぜんしゃべる。彼女だけは発声が稚拙になってしまうのだが、これがかえって思…