物語論
アヴィーロワの回想記に晩年のチェーホフとモスクワ駅で邂逅する件があって、発車間際の列車の中で、チェーホフは彼女の娘を膝に抱き上げ、親しげにその顔をのぞき込んだりする。 そこから遡ること十年ほど前、二人が初めて対面したとき、彼女を人妻だと知ら…
ヤルタに移住したチェーホフは、荒野から切り開かれた自邸の果樹園が、数百年後に地上を花園に変えると夢想する。しかし、当人はそれを見ることがない。それどころか肺病で死にかかっている。だとしたら、なぜ彼はバラの手入れや花壇の草むしりに勤しむのか…
恋愛に自分の希少性を見て安寧を獲得する戦略は、排他的であるがゆえに脆弱である。当事者でない限り、ノロケ話から希少性の実感を引き出すのはむつかしい。ワナビ脳に比べれば社会的な担保に欠けると思われる。 既述であるが、普段の生活において恋愛とワナ…
童貞は恋愛の何たるかを扱えないから、愛の立ち現れ方は遠隔的で不可逆だ。これは『ウォーク・ザ・ライン』で考えた恋愛の予定説と関連がある。天使はひとりしかいない。ではどうやって天使を確証できるか? 『秒速』のタカキくんは、種子島で花苗を参らせ、…
デレる予感で負債の担保を設定する少女の排他的態度は愛の先物取引だ。対して、常に思い返され、過去へと遡及して掘り出される好意もある。伊織の愛は今ここに発覚せねばならぬが、造形の成熟がツンツンという態度を許容しなくなると、愛の知覚が造形の信憑…
既視感の対象に予定されたものが前もって予測されたら既視感の歓びは出てこない。あからさまな期待よりも潜在的な期待を探る方が有効である。あるいは、あからさまなものを人為的に隠蔽してやる。もしくは、報われ方にオリジナリティを追求する。
物語の展開にとって生産的な状況とは人物の行動を描画することにある。つまり人の運動が依拠できるような計画や目的が必要である。したがって語り手は、人が計画を迫られるきっかけを考えねばならない。たとえば、彼は何かに遭遇し巻き込まれる必要がある。 …
AIは物語のテクストを問題解決の経過報告書として捉えたがる (Ryan[1991=2006])。 まず動作主には意図があり、目標はいくつかの副次的目標へと解体される。発話などの行動の継起はその目標に達すべく実施され調整された計画の過程で産まれる。 ナラトロジー…
現在の書き手にとってイヤらしく思われるのは未来を観測する自意識であり、未来の受け手にとって感興を削ぐのは、自らが起草した以上、情報はほぼ明らかで、しかも受け取り期限が自明なので受け取る行為自体に意外性が少ないことである。歓楽は歳月を経て劣…