読書

後期フィヒテ

カントの宇宙観にあっては正義はひとつしかないとされる。人それぞれに正義があるとは考えられない。この正義の充足に人は自由を覚えるとカントはいうが、これがわからない。正義を行うのに際し選択の余地がないのなら、やることはひとつしかない。それは自…

キラキラする人

フォレスターの『スペイン要塞を撃滅せよ』(1952)はホーンブロワー物としては構造が変則的である。通例、ホーンブロワー物はホーンブロワーの内語を通して事態を追っていく。ところが『スペイン要塞』には彼の内語が出てこない。扱われるのはウィリアム・ブ…

満街人都是聖人

カントは傾向性(好みや感情)に左右される行為を嫌うから、彼からすればむしろ好意で微笑まれる方が厄介じゃないか。好意がなければ行為が生じない点で、傾向による親切は当てにならない。義務感からなされる親切の方が信頼できる。好意があろうとなかろう…

メアリ・ロビネット・コワル 『宇宙【そら】へ』

これは一般小説であって、作者もそのつもりなのだろう。それを宇宙開発SFのつもりで手に取ってしまったのでまことに厳しいことになった。最初から一般小説として読めば、話の大半を占める夫婦漫才とガールズトークに違う印象を受けたのかもしれない。しかし…

ビング・ウェスト『ファルージャ 栄光なき死闘』

ビング・ウェストは海兵隊のイデオローグといっていいから、イラクの荒廃した街に近代をもたらそうと海兵隊がやってくるノリにはなる。ところが結末は逆である。これは近代が滅ぼされる話であり、近代を担うキャラクターを設定しその悲酸な末路を通じて近代…

宮崎〇郎を〇ろしてやりたい

『山猫』のドン・ファブリツィオは黒嬬子の堂々たる大ネクタイを自分で巻く。他方、加賀の前田本家には衣装係の使用人がいて、当主は蝶ネクタイを自分で結ばない*1。シチリアのサリーナ家と加賀百万石では経済力が違うのか。それともファブリツィオのダンデ…

『彼が二度愛したS』 Deception(2008)

例によって何も知らずに見始めたのである。冒頭、深夜。会計士ユアン・マクレガーが監査先の会議室で独り溜息をつく。 「結婚してえなあ~」 ここで”DECEPTION”がタイトルインして嫌な感じしかしなくなる。またユアンの文系暗黒路線か。文系男が酷い目に遭う…

『判決、ふたつの希望』 L'insulte (2017)

自動車修理工のオッサンが土方の現場監督でパレスチナ難民のオッサンにヘイトをやる。激昂した難民のオッサンは暴力に及び修理工のオッサンに訴えられる。 話の冒頭に修理工のオッサンが客をたしなめる場面がある。非純正のブレーキパッドを使ってトラブった…

伊藤桂一「大隊長、独断停戦す」『かかる軍人ありき』

近代の心性とは商人のエートスである。 『タンポポ』(1985)に安岡力也がラーメン屋の改装を請け負う場面が出てくる。このとき、店主に好意のある安岡に対し山崎努が注意をする。曰く、金は当人に払わせろと。もし好意から無料でやってしまうと彼らの関係は徒…

徳が敵意を越える

成人した秀頼に家康が初対面する場面が司馬の『豊臣家の人々』にある。秀頼がどんな男に成長したのかドキドキの家康は、駕籠から出てきた長身のイケメンを目の当たりにしてうれしくなってしまう。凛々しさを好む時代の習性が秀頼への敵意に勝ってしまうので…

ロバート・B・パーカー『レイチェル・ウォレスを捜せ』

読者がスペンサーシリーズに期待するのは啓発ではなくマチズモの肯定だろう。本作ではフェミニズムの運動家であるレズビアンがスペンサーのマチズモに屈服するのであるが、単なる屈服ではただのポルノになってしまう。いずれにせよポルノには違いがないので…

ガッサーン・カナファーニー 『太陽の男たち』

『ザ・ウォール』(2017)は密室劇に近い。イラクの砂漠で米軍の狙撃手(アーロン・テイラー=ジョンソン)がイラク人の狙撃手と壁を挟んで対峙する。無線を通じて相手は挑発を繰り返す。米国製作なので話はアーロンの視点である。しかし、アメリカとイラクと…

McDougall,S. (2005). Romanitas: Volume I

今年の初め、ローマが現代まで存続する歴史改変小説が一部界隈で話題となった。舞台は21世紀初頭でローマと日本と中華が地球を三分している。ローマと日本は300年に及ぶ戦争の末に1945年以降、冷戦状態にある。本文には言及がないが核兵器が登場したのだろう…

楽天知命 故不憂

全能なる神は全てを予知する。これが人間の自由意志と相容れない。先日、トマス・アクィナスを読んだところ、スコラ学を悩ますこの話題に際し、彼は昔のギャルゲ論壇のようなことを言っていた。曰く、自由意志つまり選択とは時間に付随する現象である。とこ…

フィリップ・クローデル 『ブロデックの報告書』

『沈黙の艦隊』にトロッコ問題を扱った話数がある。党首討論でアンカーが党首たちにトロッコ問題を提示する。 10名を乗せた救命いかだが漂流中である。 そこに1名の伝染病患者が出る。致死性である。 あなたならどうすると問われるのである。 不幸の総和を最…

原民喜と琴浦さん

容態のおもわしくない妻は、もう長い間の病床生活の慣わしから、澄みきった世界のなかに呼吸づくことも身につているようだった。 『美しき死の岸に』 昔書いたことだが、原民喜の印象は最初はすこぶる悪かった。死に瀕する妻貞恵を美化する厚顔に怖気を震っ…

劉慈欣 『三体』

イカ臭い。文体も話もイカ臭い。わたしも人のことは言えんが、しかし、つらい。 文革で人類不信になった天体物理学者がファーストコンタクトに成功して地球を売るのである。 彼女はエコなインテリを糾合。プロエイリアンのニューエイジ教団を結成するのであ…

ヤスミナ・カドラ 『テロル』

賭け金を上げ過ぎた話であった。賭け金が上がる、つまり謎が深まればそれだけ受け手は惹かれる。しかし深まるだけ謎の解明に対する受け手の期待が膨らみ、風呂敷たたみのハードルが上がってしまう。 男はベドウィン系のイスラエル人である。医師として社会的…

アリアンナがかわいい 『ソーサリー』

アリアンナは頭のおかしな美女である。その家を訪ねると、檻に監禁された彼女から「エイルヴィン族に悪戯された、出してくれ」と乞われる。出してやるとお礼をくれるが、家を出ようとすると魔法で襲撃してくる、曰く 「アリアンナは、闘わずして大切なものを…

チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ 『アメリカーナ』

キャラに対する好悪を利用して受け手の感情を誘導して物語設計を期するとなれば、キャラの定型化に容赦がなくなるのは自然である。本書の基底にあるのは専門職の世界観であり、これが宗教に頼る人々を嫌悪する。ヒロインの母親は効能を求めて宗旨を頻繁に替…

Chekhov, A. (1888). The Bear

一幕物の喜劇である。 地主の未亡人が良人の死を悼むあまり引き籠っている。もう一生外に出ない、誰にも会わないという。そこに闖入者が現れる。男は亡夫の知人である。夫は男に借金をしていて、その返済を求めて彼は訪ねてきたのだった。 女は不快である。…

徳が凡人を追い詰める 『刺客列伝』

英雄伝に出てくる小カトーの言動は、プルタルコス当人がマンガのような人生と評するように、徳高いというよりも基地外じみていてドン引きする。むしろカトーのサイコの様な徳高さについていけなくて泣き言を漏らしてしまう周囲の人々がコミカルですきだ。 同…

フレデリカの野望

プラトンの対話篇でたとえばグラウコン兄弟あたりが「さすがです!」「ゼウスに誓ってそのとおりです!」と目をキラキラさせ始めると、彼らに乗せられたソクラテスが「いいかいユリアン」モードに移行することがしばしばある。対話劇の舞台は濃厚な少年愛社…

村上篤直『評伝 小室直樹』

10歳の春。就寝中のわたしは死の恐怖に打ちのめされた。狼狽して廊下に飛び出たわたしに安らぎを与えたのは、そこにいた父の姿であった。わたしよりもよほど死期が近いはずの父が平然としている。その様子を見て安らいだのであった。 それから20年経ち、父は…

ウンベルト・エーコ 『フーコーの振り子』

陰謀説を肯定する態度は揶揄の対象になる。かといって、陰謀論者を揶揄して蒙を啓くだけでは一般文芸の水準を満たせない。陰謀に揶揄以外の態度を示しても啓蒙が損なわれない、あるいはかえって啓蒙に至ってしまう事態を案出せねばならない。 カゾボンはミラ…

Chekhov, A. (1887). Expensive Lessons

学位論文のリサーチのために仏語を習得することになった男は家庭教師の求人を出す。やってきたのは若いフランス娘であった。男は舞い上がるのだが、受け手であるわたしの顔は歪む。また千年一日のごとく美人に男が翻弄される物語が始まるのだ。と、それはそ…

ジョン・スコルジー 『レッドスーツ』

冒頭から始まる劇中劇はつらい。あえて表現の水準を下げるのが劇中劇の作法である。通俗的な偶然が頻発して実に面白くない。 『ミッドナイトクロス』や『カメ止め』冒頭の耐え難さを想起したい。冒頭から始まるのはそれが劇中劇と知ってほしくないからだ。劇…

トロッコ問題再考

人は悲劇に慣れてしまう。あるいは麻痺してしまう。人死にが1名出たら不快である。1人が2人になればますます不快であるが、不快の増大量は逓減するように思われる。0名から1名の人死にが生じた際に増大する不快量の方が、1名から2名に追加されて増大する不快…

『東條内閣総理大臣機密記録 東條英機大将言行録』

Darkest Hour には車を降りたチャーチルが単身で地下鉄に乗って民情視察をやる場面がある。これは虚構なのだが、東條英機(以下ヒデキ)は実際に同じことをやっている。昭和19年4月30日。この日は日曜で玉川の私邸から官邸へ向かっていたヒデキは洗足で車を…

答え合わせ

ベン・アフレックは『アルゴ』で河原者の負い目に言及している。アラン・アーキンの扮する映画監督は娘と疎遠である。なぜと問われると彼は自嘲する。 「嘘で塗り固まった人生だからさ」 虚業の負い目が家庭問題として具現化することで当人を動機付ける。 ベ…