ロバート・ネイサン 『それゆえに愛は戻る』 So Love Returns [1958]

ジェニーの肖像 (創元推理文庫)

 竹内結子は記憶を欠いていて、情報量に著しい制約がある(『いま、会いにゆきます』)。彼女の視点を活用したとしても、情報流出の決壊は起こらない。語り手は、情報を秘匿しながらにして、語りのリソースをそれぞれの人格に分散し希薄化して、風景を分割することができる。
 他方で、ネイサンは回復された細君に記憶の欠落を設定しなかった。つまり、メルヘンの事情は彼女に了解されていて、彼女の視角に介入し、その内語をあからさまにすることは、情報開示を伴いかねない。したがって、語り手は夫の語りにリソースを集中せざるを得ない。
 情報の場が共有できる以上、竹内と獅童にとって、メルヘンの解析は共同作業なのであるが、情報を秘匿した細君の夫にしてみれば、それはあくまで彼の孤独な仕事である。かかる疎外感が共有されるに至るのは、彼女の内語が漏れ始め、メルヘンの解明が始まるのを待たねばならぬ。情報ある故の孤立の感傷が、そこで活用されることとなる。