「三人の秘書」, 『サラリーマンNEO』

 社長の煩雑な喫茶習慣をめぐり奥田恵梨華らが煩悶するのである。彼女どもを不安にした物語の影は田口浩正だった、と明かされる結末が感涙である。スターシステムを利用した一種の復讐劇と解せるのであろう。
 本作を遡ること数分前、田口はいとうあいこに一目惚れをした(「大河内透の恋愛ブログ」)。悽愴な前作の「Re」を踏襲していることから、田口の恋愛が成就するかどうか、この物語では全く問題にならない。むしろこれは、恋愛のストレスから発する強迫神経症の数々を愛でる虐待劇に他ならぬ。
 実際、田口の虐待は始まっていないし、物語はこれから別の風景をたどるのかも知れぬ。ただ、確証ある未来の予期を嘆き震えるのである。ところが、われわれの想像もしなかった速度と内容で、田口の未来は返ってくるのだった。彼は数分の後、桃缶の汁を要求する恣意的な加虐者として扉の向こうから現れたのだった。
 むろん、虐待されていた彼が、別の世界で別の個体として救済されてた、という感慨なのである。だが他方で、かかる感傷に至らしめるようスターシステムを利用するためには、遠すぎても近すぎてもいけない、人格・時間・空間の距離感が必要ではないか、とも考えるのである。
 『ゴーストワールド』('00)と『コン・エアー』('97)のブシェーミを思い返したい。前者で「どうしてテニスやバスケする奴がモテるのであるか」と悲嘆した彼は、後者に於いて、天才的性犯罪者として地上に舞い降り、ベガスでまんまと大金をせしめ幸福となり、心ある人類の号泣を誘うのである。
 実は『ゴーストワールド』のなかで、似たような別の人生の物語はすでに語られていた。作中、ブシェーミはジージャンズのヌンチャクの露と消えてしまうのであるが、エンドクレジット後に挿入されたおまけ映像では、カラテで彼らを虐待するだった。
 これはこれで泣いてしまう。しかし『コン・エアー』ほどの感慨には至らないようにも感ぜられる。人格の継続性がありすぎて、スターシステムが働いていない。つまり、「喪失した人格の回収」*1と似たような仕組みがそこにあって、人格の継続性は是とされない。けれども、関連づけが不可能になるほど、人格の性質が疎遠になってもならない。
 「秘書」と「恋愛ブログ」の間で、スターシステムの均衡を支持するひとつは、時間の案外な距離感である。たしかに、数分と離れてない。が、その刹那は観測者にとって予測しないものであった、という意味では距離感が生じている。
 また、「がんばれ川上くん」と「セクスィー部長」の間で生じた沢村一樹スターシステムは、清掃員、八十田勇一の不穏な定点観測によって支えられるように思う。八十田の差異化するまなざし*2は、各作品全般に渡って一貫するが為に、かえって空間を統合したのである。

*1:2004/06/30を参照

*2:2006/12/01を参照