『華麗なる一族』 ('74) の位階秩序

華麗なる一族 [DVD]

 西村晃はどぶ板感覚一本で副頭取に登り上がった人だが、都銀の頭取にもなるとある程度の知性もほしくなるし、だからこそ、佐分利信でなくてはならない。そして、知性がさらに高じると、田宮二郎から平田昭彦へ至る眼鏡軍団・大蔵官僚の途が見えてくるし、その極北で待ちかまえるのが、日銀総裁中村伸郎の不思議世界であったりもする。知性も度が超えると世間より解脱してしまう。
 どぶ板から知性へと至る、人格評価の簡潔でごく常識的な基準は単次元的で、知性の進捗に伴いどぶ板の感覚は失われるように思われる。佐分利信のまがう事なき佐分利信振りを支えるのは、人格の成分配合の巧みさであるはずだ。ところが、食物連鎖の頂点にある蔵相、小沢栄太郎を考えると、どうも、単線的な位階秩序の抑揚に違和感を覚えてくる。そもそも、小沢栄太郎佐分利信を手玉にとる世界って如何?――という個人的不満がある。
 これもまた、適切な人格の成分配合をめぐる競争だとすると、単次元の座標軸でも取りあえずは間に合う。小沢栄太郎に取って代わるには、佐分利はやや知性に偏る嫌いがあり、小沢は精密誘導兵器の困難さを以て、成分配合の微少な峡谷に降下し得たと言えそうである。かれらの精密性の違いは、地位に対する淘汰圧の強弱に因るものだろう。しなしながら、小沢栄太郎にあって、実のところ、どぶ板と知性が排反しておらず、彼の「よっしゃよっしゃ」などぶ板感覚が知性を損なうに至らない、あるいはその逆も然りだとしたら、話はまた変わってくる。われわれにはまだ見えぬ、隠された次元の成分が想定できるし、それを佐分利にとっての超え難き壁であったとすることもできる。
 この謎の座標軸は、小沢栄太郎の対極として仲代達矢を評価する足がかりをも与えてくれるものだろう。どぶ板でありながら知性的であり得ることは、つまり、どぶ板も知性も持ち合わせない人格の形状も可能になるということだ。猟銃自殺も納得なのである。