School Days

School Days 第1巻 初回限定版 [DVD]

伊藤誠という青年は不思議な人で、次々と娘を猛り狂わせゆくその凶悪な色魔の性質について、特に理由が付されたりはしない。


いや、これはもともとエロゲであるから、愛に理由はないのである、というのであれば、まだ理解はできるし不可思議だという程のことでもない。


けれども誠についていえば、ジゴロの能力に合理的な説得が与えられるどころか、むしろ逆に、通例であるならば人を遠ざけかねないような造形が積極的に課せられてしまう趣味の悪さがある。たとえば誠は、面白いくらい猛り狂ってくる娘どもの面々に、面白いくらい素直に発情してしまうのだ。


というか、その反応があまりにも律儀で直裁なために、「誠しね」という当初わたしどもの抱きがちな心証は、何か無機質な思考に対する病理的な印象へと変わるようにも感ぜられる。ジゴロをやっかむ非モテの心理といった常識的な解釈を挟むのは最早むずかしく思う。


果たして、これは、ニュートリノ・バーストのごとく愛の降り注ぐありさまを強調するほかに意図をもたない、超現実主義の悦びであるのか? 実のところ、この表現は別の意味で正しい。


誠の病理的な造形は、ある程度において、空間の広がりを得ていると見てよい。泰介の手癖の悪さを考えれば、男性不信らしき世界観が見えてくるし、また、言葉を虐待する娘どもを含むなら、人間一般に対する不信も感ぜられる。


やや感傷的に文芸的な評価をすると、愛の無分別は人間不信の裏返しなのだろう。


しかしながら、ここで、わたくしという決意の主体を想像させないような、誠の条件反射の集積のような脳と病理性の広がりを思うと、自分には、人間不信をベースにしながらも、何かわたしどもの現実を超えた思考実験が行われているようにも思われてしまう。もし皆がポリシーをもたぬジゴロであったら、われわれは何処へゆくだろうか、といったサイエンス・フィクション風の好奇心であり、歓楽劇である。


物語を一種のシミュレーター風情に見せてしまうのは、やはり、元がギャルゲーであることが大きいし、また、誠の無機質な造形も、プレイヤーの選択を反映せねばならぬために人格が希薄化されたと思えば、そこに還元しうるものだろう。