古橋秀之 『おおきくなあれ』 [2005]

ある日、爆弾がおちてきて (電撃文庫)

時間の遡行を可逆的に扱うと、経験の希少性の実感が薄くなって感傷を煽りづらくなるのでは、と考えてしまう。ただいったん遡行が始まり、ワラワラと典型的なトラウマが発見されてくると、可逆性という軽さが何らかの付加価値に寄与することで、古典的なトラウマの扱いに正当性を与えるような気もする。


本作にはトラウマを発見する主体の立場に倒錯がある。主人公は娘のトラウマをあらかじめ知っていて、逆に当の娘だけが自分にトラウマがあるのを知らない。記憶を過去に戻された彼女にはこれから降りかかる出来事の知識がないのである。結果、トラウマの詳細を隠匿せねばならない動機が主人公の方に生じてくる。つまり情報の逆転した落差は「彼女が事件を知るかもしれない」という問いかけを可能にして、トラウマという装置にスリラーという付加価値を与えるのだ。単一のイベントが複数の効果を処理することで表現の効率性が上がったといってもよい。スリラーに傾斜するおかげで、トラウマが発見された挙げ句にど〜んと大回想が始まるような野暮ったさは避けられる。