間瀬元朗 『イキガミ』

イキガミ―魂揺さぶる究極極限ドラマ (1) (ヤングサンデーコミックス)
政治のハイブリッドは、たとえ整合性に欠けるとしても、物語の強度を損なわない限り認められてよい。


たとえば『犬狼伝説』の警察や軍隊関係者は、意地悪で大雑把な言い方をすれば、ナチっぽい格好をしている。ところが、ドイツに敗戦したとされる社会自体は決してナチっぽい訳ではなく、実際の戦後のそれに似ている。つまり制度間の整合性が担保されていない。


これはフィンランド化と言ってしまえば説明できなくはないが、物語の美的意図にしてみれば、その強度をめぐる損益計算が発生することにもなる。パラミリタリーにドイツ兵のコスプレをただ刹那的にやらせて得られる感興は、制度の整合性を危うくするコストを上回るのか? もしそうであれば、自律した物語としては一応正しい。


イキガミ』にも同じ課題を見てよいだろう。共時的に持ち込まれたあの手のアンチユートピアに作劇的な資源は大きい。しかし、このアンチユートピアが可能になる社会は、その外縁に至るまでディストピア風にならないと、やはり整合性に問題が出はしないか。かと言って極端な管理社会では、この物語が選好するような社会問題はそもそも最初から生じないだろう。


おそらく「命の暴走」の負け組おやぢあたりが、わかりやすいと思う。負け犬が生き甲斐を取り戻して復讐を決意するのは素敵だが、国政に出て法律を廃案したいとなると違和感がある。それができるなら、初めからディストピアは成り立たないのでは。キレすぎた母親の造形も相まって、何となく腑に落ちない。「出征前夜」もまた微妙で、物語の露骨すぎる政治的意図と自律した美的意図の狭間で何とも居たたまれなくなる。それが狙いとわかってはいるのだが。