日曜日にくぎゅのツンデレ百人一首を携帯に入れた

通勤中にくぎゅツンデレヴォイスを聴いてると、とうぜんニヤニヤが沸き上がる。しかし世間体があるので、顔にニヤニヤが出てしまっては困る。顔面の幾何はわれわれの心理的な様相に依存するのであるから、通勤でくぎゅを聴いたとしてもニヤニヤできないのなら、われわれは効用の最大化に失敗しているのではないか。また、もっとおそろしいことだが、われわれがニヤニヤしようとしまいと、単に聴いているという事実が、限界効用の逓減(飽きる)を引き起こす可能性もある。



これは、ニヤニヤの燃費はどちらがよいか、という問題かも知れぬ。



つまり、ニヤニヤあるくぎゅは、どれ程のくぎゅを摩耗させることで、ニヤニヤを沸き上がらせるのか。ニヤニヤの乏しいくぎゅは、いか程のくぎゅを節約することになるのか。そして、ニヤニヤのないくぎゅにそもそも意味があるのか?