ゴーリキー 『どん底』 На дне [1902]

どん底 (岩波文庫)
予期の容易さからいうと、ナターシャの萌え騒動はいったん解決を見るのだから、ゴーリキーの性格からして、ああ……これはダメだな感慨は自ずと湧き上がるのであり、実際に破綻へと至っても何か図解的だ。



そもそも戯曲はカットを割りづらいので、プロットの運動量を空間の形状に沿って拡大するのが難しく、不幸を興味ある観測の対象とするような、転がり落ちるような疾走感を語るにも、見た目の奥行きに頼ることはできない。ナターシャの萌え騒動にしても、痴話騒ぎの滞留が煩わしくもある。だから、ここでは、ナターシャの造形を「牢に入れてくれ」などとドMな方向へ転換させて、悲壮な現状肯定の活動を観察する戦略が採用されている。



役者のイベントの方は、ナターシャに比べると予期の可能性をプロットの隠蔽工作に巧く利用できたと思う。彼の治癒プロジェクトは物語で唯一技術的な広がりと牽引力を伴っていたものだから、アレしてしまうと貧乏性が刺戟される。



そして、ナターシャの萌え騒動の発端にもいえるのだが、舞台にとっての奥行きとは、目の届かない場所にほかならないのだから、けっきょく役者のナニはフレーム外のイベントとして処理されることになる。