カズオ・イシグロ 『わたしを離さないで』 Never Let Me Go [2005]

わたしを離さないで
細々と放流される情報ダムは、読者の関心を事件の顛末に駆り立てることで、その想像力と競合します。もし解答が読者の想像を超えなかったら落胆が大きいのです。しかし競合そのものを隠そうとしてダムの放流を絞ると今度はストーリーが流れなくなる。隠蔽のために別のダムを用意するとしてもコスト的に荷が重い。



ダムを速やかに流して、明らかになった設定にストーリーの生成を頼るのは、限られた資源を活用する上で賢明かも知れませんし、本作だと特に、設定を積極的に開示しないと活かされない強みがあります。情報ダムの放流を終わらせないと、ラノベ設定を文芸小説に近い情報量で語る面白さが出てこない。つまり放流がある程度進まないことには、ラノベなのかどうかよくわかりません。



文芸小説の調子を損ないたくないのなら、事件の工学的ないし文芸的な解釈を明らかにしたくない気分もでてくるわけで、それでは設定の放流を終え、ジャンルの国替えするにあたって、ストーリーの生成を担うのは何か。



嫌悪を誘う造形を観察し、その顛末の期待でプロットを駆動させるのは、それはそれでさみしい話でもありますが、明らかにされた設定がこの期待を煽るのもまた確かです。彼女が必ず報われるという保証があります。



また動機を図解できない条件下では、地誌的で視覚的な要件に解決を任せるのも適切な方法なのでしょう。