天使を確定せよ 『ウォーク・ザ・ライン』

ウォーク・ザ・ライン』の恋愛観は、天使はあらかじめ措定されているとする。ただ、あくまで措定されるにすぎないから、たとえば某女優を見て「俺の天使だ」と猛り狂ったとしても、その女が天使だとは限らない。天使とは、遡及的に振り返ってようやくあれが天使だったと確証できる類のものであって、実際に女と結婚したところ夫婦生活に倦怠を感じないとは限らないのである。それは実際に添い遂げるまでわからない。



この話は、結婚というイベントを一種のミスリーディングとして用いており、ともに離婚経験者であるホアキンとリーズの行く末に悲観的な見解を抱くよう誘導が行われ、その結果、天使の概念に疑問が生じる。女が天使であったことは、ふたりが添い遂げたことを告げる後日談において、ようやく確証される。



ホアキンにとって、リーズを天使として同定して行く過程は、未来を思い出す作業でもある。天使はあらかじめ予定されてるのだから。ところが「童貞の怨念は岩をも砕く」なかで、遡及的に確証されるはずの、宿命論的な天使の予定説は明らかにその意味合いを変え、ホアキンに諦念を求めるどころか、逆に彼を駆り立ててしまった。彼女が天使だから添い遂げられる。というより、何があろうと添い遂げれば、それで天使は確証する。



こうして『ウォーク・ザ・ライン 君につづく道』はその名のごとく、ゼロ年代童貞映画の頂へと至ったのである。