ドヤ顔ポエジー 『パトレイバー2』


受け手が本作の社会的文脈に無知な場合、柘植の動機は法令やROEの整備に尽きてしまう気がする。戦後史の知識を欠いた人間には、立法の過程に関するテクニカルな話に過ぎなくなるのではないか。しかしそうなると、クーデターもどきに至る飛躍がわかりづらい。作品内における荒川のポエムに準拠すれば、どうやら法令の整備を拒む有権者の意識に挑むため事件が起こされたらしいのだが、それがわかったところで、また別の問題が生じる。



懸念になっているイベントが、どのような不利益になるのか。これが明らかにならねば、事件は受け手とは関係のないアトラクションになってしまう。前に触れたが、パト2は不利益の実感に受け手の想像力を要求するため、法の不備のための無駄死に避けるために戦後を終わらせたい柘植の動機が届きにくくなっている。戦後が続くことの不利益とは何か。作品の冒頭で柘植が部下を皆殺しにされたように、政策の現場の人間にとっては、これは時として切実な問題になるのだろう。しかし、一般有権者である受け手にはどんな不利益になるのか。それが具体的に伝わりづらいし、このことについて、柘植自身が諦念しているようだ。



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治安出動のシーンが、年々わからなくなってきた。治安出動で戦後終了という語り手の論理を承知してなければ、ここはそうとう奇妙に映るのではないか。テロか何か起きそうだから、軍隊が出てきて警備している。それはそれで大事なのだが、ハリウッド映画では10数秒のモンタージュで済ませそうなところを、10数分に及ぶポエジーな大シーケンスが始まってしまう。政治的な含意を見失うほど、端的に品がないのである。



パト2の公開時、何がおこっているのかまるでわからんと友人K君はそれを評し、わたしは彼のリテラシーを嗤った。今のわたしは、治安出動の大シーケンスを正視できるかはなはだ自信がない。すべてのカットに、押井守の忌まわしいドヤ顔がオーヴァーラップしそうである。K君に追いつくのに、わたしは20年の歳月を必要としたのだ。