届け電波 『ほしのこえ』と『秒速5センチメートル』

『秒速』のOne more time, One more chance は、その詩の明確さゆえに、キャラクターの心理に強固な拘束を課すことになる。タカキ君、明里、花苗、三者三様の心理がそこでモンタージュ展開されるのだが、この三人を包括するには、詩がタカキ君の心理に寄り過ぎるため、明里と花苗の視点が入り混じると不可思議な効果が現れてしまう。前話の「コスモナウト」で、明里は神格化されるあまり、幽霊譚のヒロインと化している。「秒速」のモンタージュでは、その神秘化された明里と明里自身の心理の指標たる、リアルタイムで等身大の明里が並走してしまい、場面はタカキ君に引導を渡しつつも大混乱に陥る。



One more timeの謳うタカキ君の未練は相当なもので、明里の面影をすごい勢いで求める彼が描画され、わたしたちを引かせることこの上ない。ところが、それらの一連の場面に、まるでタカキ君の面影を探すような素振りを見せる明里のカットが出てくる。南口から降りてくる明里が誰かに気がついたように振り返る。これから婚約者と待ち合わせる女には似合わない仕草である。これは、錯綜するキャラの視点に乗じて、タカキ君の邪念が悪さをした結果なのか。



この感覚は「秒速」冒頭の踏切につながっている*1。タカキ君は女に気がついてしまう。しかし、女には気がついた素振りがない。それなのに、なぜ、彼女は振り返ることができるのか。介在したのは、タカキ君の気配ではなかったのかもしれない。南口の明里も踏切の女も、別の事情があって、振り向いたのかもしれない。ところが、振り向いたところ、そこに偶然、タカキ君がいる。



両毛線でタカキ君は電波を飛ばした。明里は待っているに違いない。岩舟駅の待合室で、明里も電波を飛ばした。タカキ君はやってくるに違いない。互いに自閉して、他人の行動を推測する力を欠いている。ところが、電波は通じてしまう。



ここで表現されているのは「ほしのこえ」の終盤の感覚である。24歳になったノボルくんのもとに15歳のミカコからメールが届く。8光年先から着信したそれをノボル君は「奇跡である」と評する。



この感覚は「秒速」では否定されたように見える。 「1000回メールしても、近づけない」のである。しかし、これはむしろタカキ君の病理を駆り立てるようにも見える。1000回で足りないのであれば、1万回、宛名のないメールを打ち続ければいい。



タカキ君も明里も電波である。ほんらい分かり合えるはずがない。だとしたら、たまたま電波が交差する偶然に賭けるしかない。こうすることでしか、メールが届かないことを、あの丘陵のタカキ君は承知している。