女の原風景 『言の葉の庭』

わたしが『言の葉の庭』で強烈な違和感を覚えるのは、ドコモタワーを俯瞰する超地上的なカットである。空撮で大写しになったドコモタワーのいったい何を以て、キャラの感情の振幅を表現しようとしているのか、この関連がよくわからないのである。同じ違和感は「コスモナウト」のロケットでも覚えた。このふたつの場面は、キャラの心情とのリンクを見いだせないがために、その大仰さが際立ってしまい、たいへん下品な印象を受ける。



「コスモナウト」の撃ちあがるロケットが、タカキ君(新海誠)のスペルマの象徴だったことは、前に指摘したとおりだ。同じように、あのドコモタワーは、タカオ君(新海誠)の男根を象徴している。下品という印象は、実のところ、正しい。




今回、新宿御苑を訪れたところ、ドコモタワーに牽引された語り手の気持ちが理解できるような気がした。日本庭園に入ると、とにかく目立ちすぎで、ギョッとした。庭園を回る間ずっと、そびえたつ新海誠の陰茎に監視される心地がして、わたしは落ち着かなかった。新海誠は、あの塔に自らの陰茎を託して、ふたりを見守っていたのだ。



例の東屋は、中から庭園を眺める分にはよろしかったのだが、外観はあまり絵映えしない。はなざーの尻が接地したと思しき所に腰を下ろしたわたしは、ここに座っていると、今にもはなざーとねんごろになりそう云々と、思ってもないことをツイートし始めた。するとやってきたのは、はなざーではなく、常連らしきオッサンで、しかも「コンニチワ」と挨拶を発してきて、実にいやな感じであの場面が再現されたのだった。現実の苛烈さ、というものである。



しかし、このオッサンが常連で、ずっと前からこの東屋に通い詰めているとしたら、新海誠も遭遇している可能性がある。だとしたら、わたしはあそこで、はなざーの原風景を構成するパーツのひとつと出会ったことになる。そうであったら素敵だ。



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帰りは千駄ヶ谷門から出た。行きは、南口を出て新宿門から入園したのだが、その途中、甲州街道から三丁目へ東進していると、わたしはノスタルジーに襲われた。1997年の夏、わたしは毎日のようにこの道を通って、今は亡き東映パラスに通いつめ、終日、『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』を鑑賞していた。その記憶がよみがえったのだった。あの頃はまだ、ドコモタワーは影も形もなかった。