老人性涙腺肥大 林達夫・久野収『思想のドラマトゥルギー』

先日、「君は感動しないだろう?」と人に言われた。これは、わたしの冷淡さを当てこすったものだったが、実のところ、わたしは毎日泣き暮らしている。


これに関連して、最近、よく思い出すのが、『元気が出るテレビ』の松方弘樹である。彼は、他愛もない人情話にハラハラと落涙しては、当時のわたしを驚かせた。涙腺の弱さもさることながら、当人は、本来、漁色家でDVである。造形に矛盾が来している。しかし、後年、わたしは松方を笑えなくなった。何を見ても、ハラハラ落涙するようになったのだった。


思想のドラマトゥルギー (平凡社ライブラリー)
林達夫久野収は、老人の涙腺肥大という言葉を使っている(『思想のドラマトゥルギー』)。彼らによれば、若い時分、クールな頭脳人だった長谷川如是閑は、晩年になると、何を読んでも、何を見てもすぐに落涙した。殊に、芸人や職人の苦労話に弱く、横須賀線の車内で泣かれて弱った経験があると、久野は語っている。


松方やわたしや如是閑には何が起こっているのだろうか。ここで、涙腺の肥大を脳の軟化の兆候と解せば、松方の矛盾した性質が理解できるように思う。緩い涙腺も性に放埓な肉体も暴力の衝動も、頭脳が肉体を御しきれていない証左である。


この現象は、松方の芝居において容易に見いだせるはずだ。体の挙動にはキレがある。しかし、肉体のキレを統制する頭脳がないために、強度の運動を強いられるとその動きは無秩序を呈す。『広島仁義 人質奪回作戦』で、ハチの巣にされる松方は、下肢静止不能症候群を思わせるような挙動で、随意せぬ肉体の苦しみを全身で訴えるのである。