心情を焦点化する

会話の場面においては、台詞が流れる間、誰の顔を映しておくのか常に問題になる。話しているキャラを画面に出すのか。会話を受けている相手の顔を出すのか。この配分で、どちらの心情を焦点化するか、あるいは突き放すか、コントロールすることができる。


マルチカメラでなくとも、たとえば深夜アニメでも事情は同じで、どの台詞をどの程度、発声主の顔のカットで展開し、会話の受け手のカットへこぼすのか、焦点化したい心情に応じて編集点を決める必要がある。


カットをまたいで台詞を展開しない場合でも、心情の配分はできる。カットには発話者Aが映っていて、台詞が終わるとカットが変わり、今度は発話者Bが台詞を始める。カットはBの顔を捉えている。このケースで、Aのカット尻に間を空けて、Bのカット頭を間なしにすると、心情はAに残り、Bは突き放され客観化される。逆に、Aの台詞終わりでカットを切って、それを受けたBのカット頭に間を作ってやると、Bの心情が焦点化される。話はBの視点になると言ってもよい。

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小津映画ではこの手の感情配分は中立化されている。対話場面において、Aのカット尻とBのカット頭の余白の比率は常に決まっていて、感情の焦点化に応じて編集点が可変することはない。これは、感情で以て感情を表現することを下品だと考えているからだ。