小林桂樹内閣のいちばん長い日 『ゴジラ'84』

ゴジラ'84がすきだ。幼少のころはゲイブンシャのゴジラ大百科をボロボロになるまで愛読したものだった。後年になって、このゴジラがひどく評判の悪いことを知った。'84はリアルタイムで初めて観たゴジラである。わたしはこのゴジラを思い出補正で随分と美化してきたらしい。先日、かかる補正を確認すべく、4半世紀ぶりになろうか、'84を再見して、驚くべきことに、わたしは幼少の自分の慧眼を称えることになった。同時に、これが怪獣ファンに評判が悪い理由もまた理解できた。'84は怪獣映画の文法で作られていない。橋本幸治は、自らが助監をした『日本沈没』や『地震列島』に至る災害映画の文法で'84を構成している。Gフォースのようなマンガ組織は出てこない。超兵器も控えめだ。


わたしはこの映画のリアリズムが好きだ。本編演出に迫力は欠けるが、人に下品な挙動がない。それが好ましい。リアリズムは明らかに初代ゴジラを髣髴とさせるものだ。もっとも、初代と比較してしまうと、本作の限界もはっきりしてくる。初代の芹沢博士には人生の課題がある。ところが'84の登場人物には、かかる根源的な課題がない。この映画の主人公は人間というよりも、小林桂樹内閣という人間の集団なのだ。


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小林桂樹内閣には攪乱要因がある。それこそ本作の課題と解釈もできるが、総理小林桂樹の天然造形に取り繕われ、内閣は騙し騙し運営されている。攪乱要因とは、蔵相の小沢栄太郎自治相の金子信雄である。この配役だけで、これはまずいと思わせる素晴らしいキャスティングだ。しかも栄太郎には前科がある。



本作から遡ること20年前、栄太郎は佐々木孝丸内閣の法相として『妖星ゴラス』に登場する。隼号の喪失を税金の無駄遣いとそしり、あの小憎らしい栄太郎スマイルで倒閣を狙うのだった。ところが総理佐々木孝丸は天然キャラらしく、栄太郎の嫌味にまるで気が付かない。


閣議の際、栄太郎の傍には宇宙省長官の西村晃が控えている。西村晃だから栄太郎の腰巾着かと緊張させるが、のちに善玉だと判明して奥深い。


小林桂樹内閣でも栄太郎の振る舞いは傍若無人だ。ただ、『妖星ゴラス』では機略を感じさせたその造形は、80年代に入ると老害に近い描かれ方になっている。



三原山へのゴジラ誘導案が出てくると、「自衛隊に任せた方がいいんじゃないかねえ」と述べて潰しにかかる。桂樹は、閣内の長老格である栄太郎の異見を無視して、三原山の案を採る。栄太郎は絶妙な仏頂面でわれわれを魅せてくれるが、桂樹には気に留める様子がない。ゴラスの佐々木孝丸と同じく、この人は天然なのである。


顔をつぶされた栄太郎は復讐の機会を得る。ゴジラへの戦術核攻撃が検討された閣議の席で、栄太郎は攻撃を支持する。


「戦術核の方が被害が少ない。この際やむを得ないじゃないかな」


通産相加藤武が諫めにかかる。曰くゴジラに核が有効かどうかわからない。



このバトルに乱入するのが金子信雄で、やってみなきゃわからんと気炎をあげる。わたしとしては、着ぐるみの大立ち回りより閣議の模様を延々と見ていたい。しかし桂樹はどちらの意見にも言質を与えない。ただ一瞬、苦虫をつぶしたような顔を出してしまう。つまり天然のようでいて、この人は天然ではない。物語は次第に桂樹の内面へ接近するのだ。


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本作の緊張の絶頂は、これが怪獣映画としての本作の欠陥を示すものだが、ゴジラの立ち回りではなく戦術核の誤発射に尽きると思う。報を受けた桂樹は陸に揚げられた鯉のような顔をする。


しかしこの危機は内閣を結束させる。桂樹は住民の避難を命じ、自治相の金子は避難は順調だと報告する。愚劣に見えて仕事は出来ている。金子の造形がここで広がる。そして場面は西新宿に変わり、カドミウム弾に倒れたゴジラの周囲に、われわれはあり得ないものを見出し仰天する。順調に避難しているはずの都民が、野次馬と化してゴジラの周囲に群がっているである。金子は全く金子信雄だったのだ。すばらしい。