選択なき徳性 『ペンギンズ・メモリー 幸福物語』


この話には幼少のころ不可解を覚えたところがある。マイクはなぜジルの求愛にこたえようとしないのか、これがよくわからない。今見返してみると、この辺の心理は明瞭に伝わってきて、戦争で壊された帰還兵が、仕事ができるという徳性を失った結果、恋愛ができなくなった話だとわかる。たとえば『ザ・マスター』が同じ主題を扱っている*1。幼少のわたしは、ヒモになってしまえば済む問題だとこれを考えた。ジルもそう言っている。何の問題がここにあろうか。ところが、マイクにはわかっている。今のところ、ジルはのぼせ上っているが、いずれこのままでは愛想を尽かすはずだ。ジルのセレブ化によって、経済問題は解決されているとしても、仕事ができる異性に惹かれるというマインドセットからは、逃れる術がないのである。


本作は、ここまでは問題を正確に把握している。ところが、マイクからジルへ視点が移り始めてから、おかしなことになってくる。ジルの自己実現の話題へ話の焦点が向けられ、彼女は選択を迫られる。マイクを捨ててセレブ化にまい進するか。セレブ化を諦めてマイクと一緒になるか。マイクがジルのセレブ化を嫌がるのである。


マイクへの共感が失われる点で、これは悪手だと思う。ジルにとっても、かかる選択肢には意味がない。セレブ化をあきらめたところで、マイクへの愛情はいずれ失われる公算が高い。自己実現にまい進するほかに余地がないのだ。


ここに至って、マイクへの共感を期したいのなら、『グッド・ウィル・ハンティング』のベン・アフレックが参考になるだろう。セレブ化への邁進を彼は説得すべきなのだ。だが、物語は別の価値観へこの課題を還元する。仕事と家庭のどちらを取るか、という図式に問題は落としこまれてしまい、ジルはセレブ化を諦めてマイクと一緒になるのである。おそらくは、バブル直前の世相が反映されているのだと思う。


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『ID4』でも類似した課題は扱われていて、これはID4らしく、マッチョな形で解決される。ヒッピーのデイヴィッドには野心がない。自己実現まい進型のコニーは、そんな夫に愛想を尽かしている。これが彼らの課題なのだが、宇宙人の侵略によって、ヒッピー性の追求が世俗的栄達とイコールになったとき、夫婦愛はふたたび燃え上ってしまうのだ。