仮文芸

現代邦画とSFの感想

恋と冒険と人間賛歌 『戦慄怪奇ファイル コワすぎ!』


ディレクターの工藤にはオカルトの神秘性についてまるで頓着がない。その態度は鈍麻なるがゆえに、かえって苛烈なほど現世的に見える。すでにFILE-01の『口裂け女捕獲作戦』から、タイトルの時点で何かがおかしい。捕獲という発想がきわめて現世的なのだ。


口裂け女」には好きな場面がたくさんある。


口裂け女が投稿者にオカルトな力を及ぼすと、外の車中で待機していた工藤は警笛を鳴らして、口裂け女の注意を逸らそうとする。警笛という現世的なアイテムで口裂け女に感化を与えようとする機転と発想が好きだ。しかもこれが効いてしまう。 警笛でおびき寄せられた口裂け女に対し工藤は轢殺を試み、躊躇なくアクセルを踏む。逃走する女を追う工藤の手には金属バットが握られている。この場面は、目に見えるものに対する彼の強固な信仰でわたしたちを圧倒する。


しかし、捕獲作戦は失敗に終わり、投稿者は失踪して、工藤たちは敗北を迎える。最後に投稿者の部屋を訪れた工藤らは、持ち主を死に至らしめる呪いのアイテムをそこに認める。彼はそれを買い物袋に入れてさも当然のように持って帰ってしまう。持って帰るのもさることながら、買い物袋というのがすばらしい。


FILE-02『震える幽霊』における呪いのアイテムの使われ方は、工藤のオッカム的な性格をよく表している。心霊スポットにおもむいた工藤は、なかなか現れない幽霊に業を煮やし挑発する。幽霊の出現場所に至ると、例の呪いのアイテムを投げ入れ、何が起こるか確かめようとする。


口裂け女」でもすでに彼の実験精神は発揮されていた。口裂け女のトラウマを掘り起こすようなメモを、女を前にした投稿者に読ませるのである。「震える幽霊」においては、この手法はオカルトの庇護下にあると目される藤原章に対しても使われている。藤原を襲わせることによって、工藤はオカルトの発動を試みるのである。そして、彼の好奇心は地獄の扉を開いてしまう。


呪いのアイテムはこれ以降、「口裂け女」の金属バットの発展として、いわば工藤のナックルダスターとして扱われるようになる。FILE-03『人喰い河童伝説』では、その力を借り、工藤の拳は河童軍団を打ち倒して行く。『史上最恐の劇場版』に至っては、呪いのアイテムすら必要でなくなる。タタリ村を訪れた工藤らはオカルトに憑依された霊能者の首に襲われる。工藤はそれを素手で叩き落としてしまうのだ。工藤の体に変容が訪れている。


「史上最恐の劇場版」の結末は、工藤の変容から演繹される点では、あるべきものがあるべきところに至るような、予定調和のよろこびと笑いあふれている。演繹が不能という点では、『真説・四谷怪談 お岩の呪い』のオカルト空間の方が、わたしには驚きが感ぜられた。オカルトに取りつかれたアシスタントの市川は、除霊中にオカルト空間に取り込まれてしまう。虚空に穿たれたその開口部に、工藤は救出を試みるべく突進する。引き留めようとする霊能師の道玄に殴りかかりながら、彼は絶叫する。


「うるせえ、どけこの野郎、行くんだよ!」



オカルト空間の情緒性は、エヴァ破の「翼をください」を思わせるものだ。フェイクドキュメンタリーのホラーがまさかここまで情緒的になるとは思ってもいないことだから、わたしは驚きあきれた。工藤の人生の課題が、まがうことなく展開されている。市川を助けようと、呪いのナックルダスターでオカルトたちをなぎ倒し、市川の名を絶叫する工藤の咆哮は、自分に悲惨なる人生をもたらしたオカルトという構造への抗議であり、かつ人であることの意気地である。しかし、過去の負い目に対する課題とともに、そこには未来と向き合う課題も現れている。『コワすぎ!』は工藤という中年男の痛切な恋の物語なのだ。


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エヴァ破の翼をくださいでも、あるいはその原型となった『ウテナ』のクライマックスでも、救い手と救われる方それぞれの人生の課題が交差する。両者の心理が交互に焦点化される。一方で、「お岩の呪い」のオカルト空間では、救い手の工藤の心理のみが扱われる。市川にはそもそも人生の課題がない。だが、市川が客観視される理由は他にもある。市川の本音を見せないことで、彼女に対する工藤の懸想が切実なものになる。


工藤の恋がはっきりと受け手に明示されるのは、FILE-04『真相!トイレの花子さん』の序盤である。『震える幽霊!』を見て工藤の凶状に驚いた投稿者が「犯されそう」と感想を漏らす。これに対して「そんなことはしない」と応える工藤に、「信じてもらえない」と隣に座る市川が憎まれ口をたたく。そこで工藤は何気なく本音を出してしまう。


「手始めにこいつからやっておく手もある」 


市川は「やめてくださいよ」と心底、嫌そうな声を出して身を離す。これがすばらしい。


話数を重ねるごとに市川の化粧が濃くなって行く。明らかに男ができた様子だが、しかしその男とは。どんどんキラキラしてくる市川に工藤は戸惑いを覚える。「お岩の呪い」の冒頭で、久しぶりに彼女と対面した工藤は「また雰囲気変わったな」と述べる。化粧の濃さは工藤の主観の反映でもあるのだ。


市川に対する告白は、「トイレの花子さん」のように、やはり、どさくさに紛れて行われる。最終章で世界を救うため過去を改編し、いま消滅しようとする工藤は、同じく記憶を失おうとしている市川にぶちまけてしまう。


「最後に一発やらせろ」


とうぜん市川は拒絶し、喧嘩が始まる。カメラマンの田代は仲裁に入ろうとするが、最終章で三人を支援してきた江野はこんなことを言う。


「それなら心配ない」


シリーズ中、市川が笑顔を見せるのはたった一度だけだ。歴史の改変を妨害してきた上空の巨人を倒し、これから新たなタイムラインへ移行しようとするとき、彼女は画面に向かって破顔している(カワイイ!)。工藤は記憶が失われたとしても、また彼女を見つけるつもりでいる。この明るさはホーガン的である。何度でも恋をすればよいのだ。