愚鈍たる軌跡 『リップヴァンウィンクルの花嫁』


四月物語』の松たか子無能の人であった。何を楽しみにして生きているのか見当がつかず、その行動の意味するところは不明瞭である。物語の進む目的や解決すべき課題が隠されるためにわたしたちは苛立ってしまい、その余波として松を無能と思ってしまう。彼女の意図がようやく判明すると、わたしたちは彼女を理解し好感を抱くことができる。


本作の黒木華は松に輪をかけた愚鈍である。だが『四月物語』とは異なりこの話は最初から面白い。ラース・フォン・トリアー映画のごとく、黒木華の愚鈍が利用されることで事態が加速し、世界観があらぬ方角へ膨張する。


その世界観と黒木の受動的な在り様はギャルゲ主人公を髣髴とさせてしまう。彼女の決断で事態が動くことはなく、彼女は状況に流され続ける。事態を動かしているのはドラえもんキャラたる綾野剛である。篠田昇の弟子筋の神戸千木は記録映画のような生々しい文法を本作に適用している。作中の人物も記録映画の被写体のような演技をして、かえってわざとらしい。かかる中にあって、綾野の、いかにも演技しているような大仰な物腰が救いになる。この物語では綾野のみが明確な目的を持っていてそれを遂行できる能力を有している。彼だけが観察に値する人物なのだ。しかし物語はあくまで黒木の視点をトレスする。


黒木には課題がない。困難が生じてもドラえもん綾野がすぐに解消する。そもそもかかる困難自体を綾野が全部設定している。観察すべきなのはこの綾野の挙動なのだが、そこが悩ましい。彼が何かを企てているという情報は早々に明かされる。しかし策謀の内容は明かされず、その目的のわからなさがまず物語の牽引となっている。ただ不吉な予感だけは伝わってくる。黒木の愚鈍に苛立つわたしたちは、かかる愚鈍が罰せられることを密かに期待している。どんなものすごい事態に突入するか、それこそトリアー映画のように、不幸の予感がわたしたちを物語に引き寄せるのである。


物語の世界観はCoccoの投入を境にして断絶する。それはほとんどSFといっていいだろう。綾野は黒木を謎の大邸宅に送り込みメイド服で飾り立てる。黒木とCoccoがウエディングドレスを纏って乳繰り合うに至っては、いったいわたしたちはどこに連れて行かれるのか、展開される現象の異常さ自体におののくとともに、岩井俊二の、50男にしては直情的な性欲に圧倒される。綾野の陰謀と黒木を主人公としたハーレムエンドをどう結びつけるのかまるで見当がつかなくなる。


結論からいえば、ここがピークアウトだったのである。物語は陰謀と現象の亀裂をつなぐ合理的な理由を見いだせなかったように見える。展開された現象に見合うようなスケールが策謀には含まれず、物語は月並みな結論に落ち着き急激に収縮してしまう。綾野がお膳立てしたのは本当に黒木を主人公としたハーレムエンドだったのだ。



結末が意外性を持たないように、全編に渡って黒木は変わることがない。冒頭でも結末でも愚鈍な彼女のままである。しかし、かかる恒常性は愚鈍であることのたくましさを表象し始めている。綾野とCoccoが彼女の愚鈍を利用したのではなく、むしろ彼らは黒木の嫋々とした母性に引き寄せられていた。事態に全く動じない黒木に怪物性を見出したところで物語は終わる。