ジェイソン・ステイサム 2001年宇宙の旅 『ハミングバード』


例のステイサムのCMを見ると、彼が作品に応じて性格を分化させる個体ではなく、ステイサムという恒常的な現象として見られていることがよくわかる。多くの作品においてステイサムはダークスーツの禿へと還元される。殊に本作ではダークスーツへ到達する過程が恣意的裁断もはなはだしくメタな笑いを誘われてしまう。ところが、メタであるがゆえに、その笑いは最後にステイサムであることの悲痛さにとって代わる。


+++



アフガニスタンに派遣されたSAS隊員ステイサムは同僚を失い報復として民間人を殺害する。本国送還の後に脱営し路上生活に身をやつしたステイサムは、追手から逃れるうちに住民不在の謎の高級フラットに迷い込む。この部屋が実にSFなのである。


クローゼットを開くと件のダークスーツが吊ってある。フィッティングはなぜか完璧である。路上生活者は毛を剃り落しスーツにスチームを当てステイサムとなる。わたしは『2001年宇宙の旅』のラストを連想してしまった。ボーマン船長を進化させるべくあのベッドルームが創造者によって用意されたように、ステイサムの迷い込んだフラットは語り手の存在とメタな視点を意識させる。


メタであるがゆえにステイサムに課せられる目的は内向的である。冒頭ではステイサムはホームレス少女と同衾している。オッサンのこのハーレクインロマンスはどうかと思うが、殺された少女の報復という動機は詳細のわからない別の動機と並走することで軽い扱いを受けている。ステイサムはやくざの用心棒をやって蓄財に励んでいる。理由はわからない。


物語の終幕でステイサムは自身のポートレートを撮らせる。娘へ送るためである。娘は父親であるステイサムの顔を知らない。殺人マシンである彼は家庭を営めなかったのだった。


「いい人に見えるか?」


撮影者への問いかけは痛切である。ステイサムの内面に向かった視点はステイサムであることがいかなる事態なのかわれわれに訴えてくる。



男はかつて捨てた家庭を再訪して、娘に写真と札束の詰まったカバンを託する。泥酔しながら雑沓に消えようとする彼に追手が迫っている。われわれからは遠い存在で共感可能とは思えなかったムキムキのきたならしいオッサンが、現象であることの遍在性を媒介することで、われわれの物語となったのだ。