激録オッサン密着24時 『現金に手を出すな』

事情あって『現金に手を出すな』を再見した。初見時は学生であったわたしは寝落ちしてしまって、どんな話か今まで解らないでいたのだった。今回見返してみて、あまりのおもしろさに驚いた。


本作が叙述するのは24時間+αのオッサンの行動であり、省略されている睡眠時間をそこから引けば映画の時間は実質8時間ほどでしかない。進行はリアルタイムの感覚に近く、したがって濃密なオッサンの生活記録となっている。アニメ主人公一般よりもジャン・ギャバンの方に年齢が近くなってしまったわたしには話が他人事ではない。画面にくぎ付けになった所以である。



生活記録だから生活にまつわる情報は膨大だ。冒頭からブーシェのレストランのテーブルの密度に惹きつけられる。しかもこれらのガジェットが筋と絡む。若い衆のマルコがテーブルにやってくると、ギャバンは卓上の密集物の内からケーキ皿を取出しマルコに食わせてやる。これを契機としてマルコが失業してツケをためている情報が引き出され、彼がこの惨劇に合流する端緒となる。この後、駄弁するギャバン一行の間でマルコは黙々とケーキを食し続ける。この挙動がマルコの素朴な造形を表現する。


ガジェットでいえば、ピエロの卓上にあって自己を主張する分厚いデスクマットもいい。やけに目につくデスクマットだと思ったら、後半の討ち入りのところで機関銃収納木箱と絡むことになる。


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本作のギャバンは性欲を失いつつあるオッサンである。あるにはあるのだが、体力が精神に追いつかないような、ダラダラとしたオッサンらしい性欲の形態となっている。



レストランではナイトクラブに来るようジョジーとローラがしきりに誘いをかける。ギャバンはいかにも興味なさそうに応じている。けっきょくオッサンらは娘らの誘いに根負けしてピエロのナイトクラブへ移動する。ギャバンは体力的にウンザリしながらも、ダラダラした性欲はひとりでに垂れ流れる。ジョジーとローラの遅刻に怒るギャビー・バッセには「色男が引きとめたのさ」と発言。楽屋裏では「重いだらう。持ってやってもいいぜ」と後背から胸部におさわり。名言の嵐である。この場面では真顔で踊り子たちの臀部におさわりする照明係もすばらしい。ついでに着座するときリトンがギャバンに背部におさわりするのも見逃せない。


ブーシェのレストランに劣らずナイトクラブの情報量も膨大だ。ここでは劇伴も絡んでくるから余計にそうである。



ピエロに呼ばれて、客席とカウンターの間の通路をギャバンが進む。客席の前のステージではダンサーの娘どもが挙動している。この4重レイヤーが同一のフレームに配置される。


ダンスシーンは劇伴とギャバンとリトンの対話がリンクするから編集技師泣かせでもある。



ダンスを眺めるギャバンはジト目で、心底ウンザリした様子を呈す。彼の半目は性欲喪失の指標である。画面はステージになって劇伴が大団円を迎える。この劇伴が明るいからこそオッサン二人の悲哀が照射される。彼らの人生が大団円を迎えつつあるという感傷が現れるのである。


店を後にすると、明日の1時にブーシェの店でとギャバンはリトンと約束して別れる。このオッサンらは昼間っから夜までブーシェの店に毎日のように入りびたりで、それからナイトクラブに梯子しているのだ。すばらしい。


ギャバンが自室に戻っても見せ場は止まらない。むしろここからが本番である。独居オッサンの部屋だからこちらとしてはガン見せざるを得ない。しかも独りオッサンの住まいとしては小奇麗過ぎて想像をたくましくさせる。特に一瞬見えるキッチンに整然と吊るされたフライパンが実に似合わない。これはジョジーかあるいはお女中の仕業なのか。しかし、本作の最大の見せ場といっていいギャバンの隠れ家場面になるとギャバンの主夫属性が露見する。


この隠れ家はオッサンの夢が詰まっている。


リノ・ヴァンチュラの手下に襲われたギャバンは隠れ家にリトンと籠る。食器棚には食器がこれもまた整然と並んでいる。これは隠れ家だからこのオッサンが整理したのか。それもとやはりお女中がいるのだろうか。



オッサン二人が近しく並んでラスクを肴に飲み始め愚痴る。ギャバンが盛り付けるバターの塊の膨大さがいい。補助金漬けのフランス農業の賜物である。ラスクの一片がリトンのズボンに落っこちるのもいい。


ラスクもそうだが隠し部屋は準備がよすぎる。



オッサン二人分のパジャマ、タオル、歯ブラシ、シーツ、枕がそろっている。そして木之本桜が冷蔵庫からケーキを取り出す挙動を活写するCCさくらのごとく、オッサン二人がネクタイを外しパジャマに着替え歯磨きをしてベッドに潜るまでが交互に、綿密に描かれるのである。


翌日になって、リトンが抜け出した後、ギャバンがリトンの無能を愚痴るところもラスクに次ぐ本作の見せ場だ。


冷蔵庫を開くと大量のシャンパンがストックされている。チェストを開くとレコードプレイヤーがあって、例によってグリスビーのブルースが流れてグダグダになる。謎の小箱から謎の塊が取り出されてギョッとするが、手巻きのたばこ葉である。



それでシャンパンと手巻きたばこ手に、グリスビーのブルースでグダグダになったギャバンはソファに沈み込み、例のジト目となるのであった。


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無能なリトンがさらわれてギャバンの救出計画が発動すると、ブーシェのレストランが半ば人格性を帯びてくる。ブーシェがいいのである。ギャバンの様子から事情を察して彼女は人払いをする。ブーシェの有能さが表現される。ギャバンは金を渡して何かのときには弁護士と差し入れをと依頼する。こうすればいいのかと独居オッサンのあるべき処世を展示して昂奮させてくれる。


ピエロもいい。ギャバンはピエロのナイトクラブに赴いて助力を乞う。ここでピエロの造形が豹変するのだ。初出のピエロは経営者らしく重厚にメタボの体を革張り椅子に鎮座させ、微動だにしなかった。これがギャバンの危機を知るや苛烈な現場主義のオッサンに化ける。ヴァンチュラの手下をどつきまわす身の軽さ。決断の速さ。あのメタボ体のどこにその敏捷さがあるのか、ギャバンに対する忠誠とともに心打たれるのである。