格調とは何か 『イースター・パレード』


 Steppin' Out With My Baby の間奏でやるアステアのハッスルがもどかしい。サル顔の貧相な男が人外のヘンタイ機動を行うグロテスクがアステアの魅力であるのだが、当該の場面ではアステアの挙動がスロー描画されることで、そのヘンタイ機動が封じられてしまう。にもかかわらず、スローのアステアと並走させて、バックダンサーはリアルタイムの速度で動作させるから、魅力の源泉たるヘンタイ機動の裏付けを欠いたまま、アステアが著しく焦点化されその美化が試みられる。

 これは一体何か。次カットが来ると謎が解ける。舞台の袖からメス顔をしたジュディがアステアを見守っているのだ。アステアのスローはジュディのキラキラ視点の反映なのであり、それゆえに男が美化されていたのだと回顧的に理解できる構成になっている。
 遡及的に感情を確証する叙述は俗謡調を回避したいがためだろう。よりわかりやすい叙述を試みるならば、キラキラするジュディのカットを最初に持って来て、次に彼女の視点の向こうにある、踊るアステアのカットを続けるべきだろう。しかしこれをやると明快になる反面、格調がなくなってしまうのである。