クリストファー・プリースト 『夢幻諸島から』

夢幻諸島から (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)
 キャラクターの心理過程を叙景によって代替的に表現するだけでは、アイロニーとしての完成度は心許ない。アイロニーにまつわる語り手の自意識の泥沼を克服してそれはようやくアイロニーとなる。アイロニーとは知らぬふりをせねばならず、その叙景は人物の心理過程とは混在せず配置され、互いに無関連のように見えねばならない。関連が見えないからこそ哀感が現れるのだ。
 『夢幻諸島から』はガイドブックの体裁を採用することで心理過程と叙景の連携のない配置を合理化している。小項目主義の旅行ガイドだから関連の見えない事柄が接続されても不自然ではない。たとえば、ローザセイ島を解説する項目の後半は、旅行ガイドの体裁にしてはおかしなパートで、カウラーの内語を延々と記述している。この項目の直後にリーヴァー島の解説が始まり、カウラーとは全く関連のないガイド目的の叙景が始まる。かかる叙景が関連のなさゆえにカウラーの心理過程のアイロニーとなってしまうのである。