小説『メイデンフュレーの哀歌(前篇)』

 赤軍が国境を越えた明くる日、アリーナ・シェレストワは青年と最後の邂逅を遂げた。青年の求めに応じてかつての逢引の場を彼女は訪れたのだった。
 最初は青年と刺し違えるつもりだった。
 しかし、村外れのなだらかな野辺を歩いて行き、しじまの中に浮かぶ悄然とした青年の姿を遠くに認めると、湧き上がる愛慕に敵意は挫けた。おそらく殺意を解放した途端に、あの魔性の血の放つ色香に屈してしまうことだろう。
 アリーナ・シェレストワが武装メイドのフュレーを追われたのはもう随分前のことだ。
 族長の屋敷に出仕していた折、嫡男と私通したアリーナは武装メイドの掟を破った咎で追放されたのだった。
 後年、草原の国に革命の季節が訪れた。王党派の街は陥落し、格式高き武装メイドの民も革命の嵐に仮借なく襲われた。アリーナ・シェレストワが今度は党の前衛として、かつて自分を追った武装メイドのフュレーに戻ってきたのだった。
 武装メイドの解放が宣言され、フュレーは戦禍に叩き込まれた。メイドたちは王党派と共和派に割れて殺戮を始めた。
 戦火の最中、族長が斃れた。
 その跡を継ぐべく、ウェールズの竜騎兵連隊から息子が帰国すると形勢は王党派に傾いた。共和派の武装メイドたちはメイドマスターたる青年の、眼に染み入るようなメイド殺しの色香に次々と陥落し王党派に寝返った。フュレーの共和派は武装メイド族最凶と謳われたレノヴァ四姉妹を除き壊滅した。アリーナ・シェレストワはその長姉であった。
 やがて王党派の叛乱に危惧を抱いた赤軍が国境に集結を始めた。
 族長の青年が数年振りの邂逅を求めたとき、アリーナは降伏勧告と受け取った。武名高き四姉妹を後背に残したまま赤軍の侵掠を許せば、王党派は挟撃され滅び去ることになるだろう。
 しかし、青年と対峙してみると、その眼に宿っていたのは諦念の光であった。自分たちが遠からず滅びることをこの青年はすでに知っていたのだった。
 メイド殺しの甘い声色が耐え難くアリーナの耳に響く。
 「皆が皆、君のようなメイドじゃないんだ。メイドの桎梏から解放されたって、せいぜい凡庸な己と向き合う羽目になるのが関の山だろう。君らは連中に何を呉れてやるんだ」
 このまま身を任せたらどんなに楽だろう。しかもこの男は誘惑に耐えるわたしの姿を享しんでいる。
 渇望に駆られ慄く肉体をアリーナかろうじて抑え込み、青年の声に抗した。
 「福祉よ」
 「そんなものは疾うに呉れてやってる。メイドたちは、君らが言う福祉とやらに加えてフュレーの一員としてその誉れに浴している。君らはどんな誉れを呉れてやるんだ」
 「誉れなんてもう沢山」
 「誉れがなければ僕らは寄る辺なき異邦人だ。あとは緩慢に死ぬだけだ。ならば誉れに浴したまま滅びた方が余程安らかになれる」
 「ご自由に。でもわたしたちを巻き込まないで」
 「皆が信じないと安らかになれないんだ」
 野辺を渡る春の夜風が甘く懐かしいメイド殺しの芳香でアリーナを包み込んだ。もはや溢れ出るメイドの母性のうねりに抗し切れない彼女は、陶然として男を抱きしめた。口を衝いたのは慰藉の言葉だった。
 「よくがんばりました」

 レノヴァ四姉妹終焉の地は武装メイド養成校の構内だった。青年との邂逅の明くる朝、ライフル小隊規模の王党派の武装メイドたちが四姉妹の立て籠もる養成校を襲った。
 校内と街路を結ぶトラフィックノードは三箇所だった。そのうち東門と街路を結ぶ裏路地と西門の面する裏道にはハイワイヤーの障害物を設置して通りを閉鎖し、キルゾーンが設定されていた。正門にはIEDが仕掛けられていた。校内に残された火器はブルーノがわずかに一丁。王党派の襲来を認めると次姉のニーナがそのブルーノを抱えて中等科教室の曲面屋根に登り、続いて三姉のキーラが屋根にアモボックスを担ぎ上げた。
 屋根からは障害物で閉鎖した阻止拠点が射界に入る。ただし一丁のブルーノでは東西を同時に火制することはできなかった。
 ブルーノの咆哮が轟いた。西門を閉鎖するハイワイヤーの周りが喧騒に沸いた。ブルーノのフルマントルが肉とアスファルトを砕き、白煙を背に流血の霧が花開いた。取り付いた王党派のメイドたちが殺戮されたのである。ニーナとキーラはブルーノで彼女らをなぎ倒すと、すぐに銃架を移し、今度は東門の阻止拠点を殺戮の場にした。姉妹の銃架は十秒たりとも同じ場所とどまることはなかった。東西の阻止拠点を移動しながら交互に撃ちすえていった。王党派の軽迫の射撃が始まり屋根が崩れかかると、別棟に銃架を移し阻止射撃を続けた。しかし東側の射界が悪化したため、フレームチャージを携えたメイドの侵入を許し東門の阻止拠点は爆破された。その轟音を聞きつけたキーラは、学内になだれ込む侵入者を迎え撃つべく地上に駆け下りた。白刃を抜いて硝煙と砂塵の渦に身を投じた彼女は、金属とポリーマーの行き交う校庭を気ままに跳び戯れた。その刀身は風に軋り鳴り、切先は血と肉に彩られ曲線を次々と描いていった。キーラの刃先に攻勢を誘われたメイドは、袈裟斬りの動作に入った瞬間、キーラに袂を踏み込まれ左肩を打ち砕かれた。上段から斬撃を試みたメイドは、その刀身をキーラにかわされた時には、すでに右手を飛ばされていた。キーラは相擁を試みるかのように、次々と目標に襲いかかった。斬りかかってくる刀身を跳ね飛ばしては、メイドの腹部を刺突し、斬撃を受け流した反動を利用しては、メイドの袂に回り込み、彼女の左上腕を斬り飛ばした。
 硝煙が晴れた。
 無数のフルマントルの摩擦音が、キーラの周りで騒擾を引き起こした。彼女は身を焼くようなその打擲に耐えながら最後の戦闘を行った。振り下ろされた刀身を避けようと間合いを詰めるや、メイドの手首をつかみ取り、胸部を刺した。しかし背後からの斬撃への対処にはもはや能わず、右腕に保持されたまま飛ばされたキーラの刀身の刃先は、校庭の真砂土に突き刺さり、主から切り離され柄にぶら下がったその腕が細い旗のようにはためいた。対手の刀身は続いてキーラの右脛を切り払った。彼女は残った脚で膝をつくと、体を斬り裂かれる灼熱感に、身をおののかせながらも、雄々しく耐えた。それは、勇敢なキーラによく似合う、悲愴な身振りだった。
 残った四肢も次々と砕かれ、キーラは烈しく地上に打ちすえられた。フルマントルが下肢の根を砕き、吹き上がった血流が風物に潤色を加えた。飛散した一片の肉が焼けた障害物にへばりついた。肉塊のつぶれる鈍い音が、狂熱の陽炎のなかに消えて行った。

 キーラが惨死を遂げようとする頃、ニーナのブルーノも役割を終えようとしていた。実包が消尽すると彼女もまた白刃を抜き、輻射熱に揺れる地上へ飛翔した。
 人が殺される轟轟たる響きの中で、鉄と血はたちまち互いに浸透し合い境界を失った。狂人たちは狂操の宴の中で白刃の鉄火を空に散らした。ニーナの刀身は腰を裂き、腕を飛ばし、首を斬りとして、歌うように殺戮の抑揚を享しんだ。酷使された肉体が人殺しに足る躍動を喪失しても、力を行使する陶酔感は狂奔を止めなかった。ニーナは自らの肉体を捧げ、襲い掛かる白刃を係留するかのように斬撃を浴びながら次々と対手に組み付き、人殺しを続けた。彼女の肉体は血の飛翔に弄られるかのように斬撃で揺れ続けた。
 ニーナが最期に見ていたものは、血の飛び交う高い空だった。煤煙にまみれたそこには、ただ一筋の雲が薄く流れるばかりだった。四肢を失った彼女は、血だまりに身を横たえ、今、自分をも失おうとしていた。彼女は視界を地上に戻し、己の肉体が今、白刃に蹂躙され凄艶な血紅色の塊に変貌しつつある様を眺め哄笑した。

 長姉アリーナ・シェレストワは、ニーナとキーラの奏する殺戮の音楽を後背にしながら、幼い末妹とともに正門の小銃掩体に籠り、突入を図らんとする武装メイドたちにIEDの爆轟を浴びせようと待ち構えていた。しかし、あまりにも罠々しい有様であったためか、主攻は正門を迂回したようだった。ブルーノの指切りバーストとそれに呼応する迫の発砲音の交歓が聞こえるくらいで、アリーナの正面は平静だった。正門ごとIEDを爆破しようと、フレームチャージを差し込もうとするメイドが現れもしたが、これは難なく彼女の白刃によって制圧された。
 ニーナとキーラの騒擾は、火力戦が原始化して肉と刃物のたたき合いに堕するにつれて、ますます祭典的な音響を立て始めたが、生きたまま焼かれる人体の臭いがほのかにここまで漂ってくると、アリーナは掩体の底で末妹を抱き寄せた。
 「姉さまはあの人のこと好きなんでしょう? なぜ戦うの」
胸に顔を埋める妹の問いに姉は応じる。
 「みんな幻だってわかっていた。みんな生化学の悪戯だって知っていた。なのに愛慕の記憶は終わらない」
 それは威儀を正して運命を待ち受ける澄んだ声色だった。
 「もう誰にもこんな思いをしてほしくない。だから戦うの。あなたには武装メイド以外の生きかたがあることを知ってほしい」
 重迫が弾着し大地は波打つように膨張と収縮を繰り返した。鉄片の嵐に打ちひしがれた講堂や教室棟は、混凝土の切片で以て人体に襲いかかり、地上を血の帯で彩った。王党派の妨害を克服して赤軍の車列縦隊の先端がフュレー近郊に達したのだった。
 硝煙が消え、沈黙が戻った。
 かつて武装メイド養成校と呼ばれた形骸は血と泥土にまみれ、血塗れた肉塊が方々に散らばり、燃えていた。アリーナ・シェレストワは掩体を這い出ると、生き残った王党派のメイドたちと最後の殺し合いを始めるべく、一般教室棟の脇にある二線陣地へ駆け出した。掩体に残した末妹に絶望的な愛惜の言葉をかけながら。
 「行きなさい女の子。あなたの未来が待っている」

 夕暮れの廃墟のなかで、女は血染めの道着袴と差し料という世にもおぞましい出で立ちで、擱座したアムトラックと散乱する人体パーツの山を眺めていた。迫の着弾で掘削された構内は泥土色で覆われ彩度を失っていた。
 女の傍らには爆轟で出来た窪地があった。その壁面には、鉄片を巻き込んだ肉片が方々にへばりついている。窪地の底には泥まみれの幼メイドが横たわり、夕景の空を後背にした肉片の奇怪な輪郭を眺めていた。
 女が幼女に声をかけた。
 「貴方、アリーナ・シェレストワの妹ね。わたしは恒星間戦略兵器のミドリ」
 そして手を差し伸べた。
 「行ってみない? 好きな人を好きでいられる世界へ」
(つづく)