アリアンナがかわいい 『ソーサリー』

シャムタンティの丘を越えて (Adventure game novel―ソーサリー) アリアンナは頭のおかしな美女である。その家を訪ねると、檻に監禁された彼女から「エイルヴィン族に悪戯された、出してくれ」と乞われる。出してやるとお礼をくれるが、家を出ようとすると魔法で襲撃してくる、曰く
 「アリアンナは、闘わずして大切なものを差し上げたりしないのです!」
 マリアンナは『ソーサリー』のエイモラルな世界観をよく体現する人物だ。悪戯で閉じ込められたと言ってるが、魔法が使えるのに易々とエイルヴィンの手にかかるのが疑問である。クリスタタンティの老人もアリアンナについては頭を使う必要があると語っていた。わたしとしては、獲物を誘うために自分を囮にしたと考える方が気が狂っていて好みだ。こういう狂った女の手に掛りたいと劣情を誘われるのである。

 ソーサリーとの出会いは小2のころまで遡る。近所の古書店で最終巻「王たちの冠」を購入して冒頭だけをプレイして、これは小2には荷が重いと放置したのだった。
 それから数十年の歳月が流れ、中途半端に放置したソーサリーのことが歳経る毎に気がかりになり、先日、堪りかねて創土社版を購入した。ただ、プレイするつもりはなくてあくまで読書用にである。しかしトイレで貪り読むうちに魔法を全部暗記する事態に至り、我慢できなくてプレイすることにしたのだった。その際、アナログで冒険記録をつけるのは煩わしく、そもそも家にサイコロがないので、各種集計作業をJavaScriptで半自動化した(こちら)。
 実際プレイしてみると強烈な違和感に襲われた。怪物がエイモラルなのは当然としても、PCまでも時にエイモラルな選択が出来てしまい、しかもそれが罰せられないのである。
悪魔に魅せられし者 鈴木直人の『ドルアーガ』の愛好者だから、それとの比較になるのだが、ドルアーガ9Fの酒蔵を想起されたい。あそこでは泥酔しているゴブリンを殺して後味の悪い思いをすることができる。ただ、殺してしまうとシルバーガントレットが取れない。
 これに類する状況がソーサリーに出てくる。カレーの街の入口近辺で水煙管を吸う黒エルフたちである。彼らも無害なのだが殺すことができる。ところがソーサリーでは、殺害で不利益が生じるどころか逆に利得がある。PCが読者とは別の原理で行動するのだ。ドルアーガのPCは状況の評価に自分の価値判断を持ち込むことがあるが、ソーサリーの方には内省がない。あるいは、反省する自分が希薄なのであり、読者に内面の尻尾を掴ませないのである。
 ソーサリーの厳しさから振り返ると、ドルアーガには炭酸の抜けたような甘さがある。あるいは、洋画と邦画のジャンルムービーの落差というべきか。鈴木の文才がジャクソンに劣るわけではない。問われているのは世界観における内的一貫性であり、内省のあるドルアーガのPCからはどうしても近代的自我が漏れ出でてしまう。これが中世ファンタジーを根底から脅かすのである。

 ゲームシステムの見地から『ソーサリー』と『ドルアーガ』と比べると、難易度の点ではもはや次元が違う。というより、違う考え方でゲームが構築されている。
 ドルアーガは往来が可能である。ソーサリーは引き返せない。ドルアーガ17Fでは門番の魔女に金貨50枚を積まねば詰まってしまう。金貨がなければ引き返すことになる。ソーサリーではイルクララ湖に達しても呼子がなければ渡れない。しかし基本一方通行のソーサリーは引き戻せない。呼子がなければそこでゲームが終わる。
 ゲームとしてはソーサリーの方がはるかにフラストレーションを覚える。しかし、可逆性の可否も内的一貫性の完成度を左右している。それは映画とビデオゲームの違いに類するものであって、インタラクティヴ性が美術の緻密さを損なうのである。
 ソーサリーでは特に魔法を使うときにこれを実感することだろう。イベントに応じて一々効き方が設定されている。ビデオゲームの影響で双方向性を追求するドルアーガにはこの手の細かさが薄くなる。ドルアーガの近代的自我とは、双方向性で減じた緻密さを内語で縫合する試みの結果だったのかもしれない。

 鈴木のヒューモアは自分が笑っている類の騒々しさである。対して、ソーサリーには天然というべき得も言われぬヒューモアがある。PCと読者との亀裂が可笑しみを醸すのだ。
 アリアンナの一人称はアリアンナである。つまり彼女は頭が弱いのであるが、それが「アリアンナは赦さないのです」と客観的に自分の行為を説明してしまうと、薄弱と知性が混然一体となり、理解不能の笑いがもたらされる。そもそも、自分を閉じ込めて救援者を襲う不条理からして狂っていて可笑しい。
 七人の大蛇も愛すべきキャラクターだ。彼らはPCの嵌める蛇の指輪に逆らえない。PCを侮蔑しながらも、指輪には逆らえぬとヒントをダラダラと述べてしまう。この不条理がかわいい。