レティシアはアホの子である。ロベール・アンリコの演出力は初出の彼女を一目見せただけで受け手にこれを把握させる。話はスクラップ置き場で物色をしている彼女から始まるが、半開きの締まりなき口元を眺めているだけで、ああ、アホの子だとしみじみと伝わってくる。
アホの子だからレティシアには美人の不自然がない。
工場でリノ・ヴァンチュラと出会ったとき、飛行場に向かおうとするヴァンチュラに連れてってくれとせがむ。オッサンが美女に絡まれるのは物語の邪念である。しかし、アホの子に絡まれたと思わせるから邪念は容認されてしまう。ヴァンチュラも警戒なく絡むことができる。
アホの子は両刃でもある。不感ゆえに絡まれるのだから性愛がない。
コンゴ沖の三人が痛ましい。オッサン二人が美女に盛り上がっている。童貞とアホの子だから半裸で戯れるのにセックスがない。さすがに不自然過ぎてセルジュ・レジアニが堪らず突っ込みをいれる。なぜ性愛が介在しないのかアラン・ドロンに問う。
ということで、辛抱たまらくなったドロンはレティシアに告る。レティシアはこのままがいいと述べてドロンを拒絶。やはりアホの子、不感かと嘆じたところで
レティシアの方からヴァンチュラに告る。オッサン大勝利でアンリコの邪念に辟易しつつも、受け手はほぼ全員ヴァンチュラに自分を仮託しているから、たちまち鼻腔が広がる。
ここまでが丁度60分で、告った直後にレティシアは遭難。まことに勿体ない。
われわれはどうしてこの話をヴァンチュラとドロンのボーイズラヴと認識しうるのだろうか。このふたりはゲイではない。あくまで想うのはレティシアである。しかしアホの子ではなく性愛の対象となった途端に彼女は退場する。遺された男二人はレティシアを想えば想うほど哀感を共有し連帯を覚える。レティシアに引きずられBLから離れるほどにかえって、あるいはだからこそBLになってしまうのである。レティシアは退場することで腐女子性の担体となり、そこにおいて、BLの現場に身を置いてはならない腐女子性の撞着を解体しようとするのだ。自分が参入したらBLが成り立たない。参入しない限りにおいて参入できる。だが、ドロンとヴァンチュラのケースでは、あくまで亡きレティシアを想う限りにおいてBLとなる。これによってレティシアは不在のまま自らをBLの場に参入させる。
レティシアは死して二人をあの要塞島に走らせた。卑猥な形をしたそれは彼女の母胎である。男どもを俯瞰しながら螺旋運動する視点。誰がアレを見ているのか。レティシアである。自らの母胎の中で自らを餌に煽情してBLに達せしめた男たちに昂奮して昇天するレティシアの眼差しである。腐女子性の表出の一条件たる母性の衝迫がそこにおいて現前するのだ。