徳弘正也 『狂四郎2030』

 本作については連載中は熱心な読者ではなく、たまにスーパージャンプを立ち読みする程度だった。とうぜん筋は追えていないのだが、煽情的な内容が気になって、いつかまとめ読みをと思いつつもこれまで放置してきた。この正月、それをようやく果たせた。
ふんどし刑事ケンちゃんとチャコちゃん 1 (ジャンプコミックスDIGITAL) シェイプアップ乱もターちゃんもいいけど、わたしは『ふんどし刑事ケンちゃんとチャコちゃん』がすきだ。下ネタと人情噺の連結がこれほど円滑な徳弘作品を他に知らない。ケンチャコと比べると狂四郎の下ネタと人情噺ははるかに振り切れている。極端であるからもはや繋げようがなく、何か病的な印象すらある。しかし、叙述の分裂は必然でもある。これは解離した人間たちの話だからだ。
 八木は解離の障害を負っている。過酷な環境に耐えかね深層に埋没した本来の自分が最後に露見することで、八木編の煽情が試みられる。八木は狂四郎に倒された後、前もって準備していたビデオレーターで以て、自分は乖離していたと朗らかに明かすのである。
 先回のおしんの議論に関わるが、哀切というよりも、実のところ八木の人生を課題としていたのか、という驚きが大きい。ギャルゲのような煽情的な人情噺を志向する話だとは、それまでの下ネタの連続からは演繹できないから、いきなりビデオレーターでこれをやると仰天した。
 土壇場で焦点のキャラが切り替わるのは、次の白鳥編でも同様である。
 そこにおいて、われわれは白鳥みつるの人生を観察してるつもりでいる。しかし、ほぼ最後のコマに至って、別の人間の人生を課題として追尾していたと判明する。白鳥ではなくマイカの話だったのであり、筋に絡む形でマイカの隠された自我を表出させる手管に作者の課題があったのである。
 マイカという人は一種のセクサロイドで自意識がない。好意を寄せられても、造られた振る舞いであるから乗れない。彼女の感傷には信ぴょう性がないから、彼女を試練が襲っても憐憫に欠ける。自意識がないゆえに、彼女の心情の話にはなり得ないのだ。
 で、ほぼ最後のコマで、実は意識があった、何もかも把握していて、白鳥のことが本当に好きだったと来て、憐憫が過去に向かって遡及する異様な煽情に襲われる。マイカのこれまでの困難が、その一コマのうちに回顧の形で実効化して、われわれを襲うのである。
 オアシス農場編のアザミもマイカの応用であり、前提は同じである。 
 アザミは汎愛の人で農場の監視兵に体を売る。恋は排他的な現象だから、アザミが狂四郎に恋をしてもやはり乗れるものではない。
 アザミに感傷に信憑性を与えるのは、聖人が自我に目覚めるモチーフである。アザミは初めてわがままを言う。他人を犠牲にしても狂四郎を独占したいと。そこにおいて、恋の信ぴょう性が成立するのだが、マイカのケースと同様に恋愛は目的ではなく、別なる煽情の手段でしかない。
 マイカの場合、自我の捕捉によって彼女のこれまでの苦難を遡及的に憐憫することができた。アザミにおいて自我の捕捉が目論むのは拒絶の実効化である。それは失恋の物語だったのだ。