新幹線大爆破と私

 幼少のころから作品自体の存在は知っていた。しかし、タイトルから滲み出るB級臭にうんざりして、実際に見たのは学生になって2年目のことで、荻窪駅前のTSUTAYAで何の期待もせずレンタルしたのだった。それで最初の難関、浜松駅の入れ替えで「すまなんだ」と心の底から土下座する羽目になったのだが、新幹線大爆破はパニック映画であるとともにクライムムービーでもある。この話は犯罪映画としても異様なのである。
 パニックとクライムが並走する前半はクライム部分には碌に尺を割かない。したがって、強盗団の詳細が明らかにされず、頭目健さんがいかなる人物か、自分の強盗団にいかなる感情を持っているのか、見えてこない。ただ、冷酷な感じがするばかりである。情報がないから、ジャンルのお約束に準拠して事を判断したくなる。そこに予断が生じる。
 一時間目に織田あきらの遭難が訪れる。
 受け渡しに失敗した織田は埼玉県警とカーチェイスをやる。高倉は彼らの後を追い、織田の死を見届けてから車に戻る。
 オッサンと若者が内紛して世代間闘争を起こす。強奪ものの準則のひとつである。これは実際に、若者ではないのだが、郷鍈治がゆすってくる形で本作にあっても使われている。それで初見のとき、健さんの冷たい印象も相まって、彼の心象をお約束に則って解釈してしまった。織田がヘマをしないか彼は見届けに来たのであって、ブスっとして車に戻ったから織田のヘマにプンプンしているな、と予断。ところが、車を走らせるうちに泣きべそになり、あの大回想が始まったのである。これはただのパニック映画ではなく、しかもだたの強奪ものではない。何か違うことをしようとしている。織田あきらの遭難でそれがわかる構成になっているのだ。
 というより、裏切りどころか、むしろ健さん一派は仲間のために積極的に殉じようとする。
 手負いで追い詰められた山本圭は自爆して、その場でグズグズする高倉の翻意を促す。現場を逃れた健さんはまたしても車中でメソメソして、ふたりのパスポートを焼くのであった。