柘植行人研究 その大義と性欲

 わざわざ決起の前日に危険を冒して南雲隊長に会ってしまう。柘植行人という人は、相当、性欲が強いのでないか。わたしとしては、性欲で大義を危うくする柘植に憤りを覚える。貴様は「隊長ぉぉぉ」の叫びを忘れたというのか。
 が、柘植には柘植の理屈があるように思われる。課長代理である南雲さんを堕とせば決起に都合がいい。それは性欲をしのぶさんに転嫁する方策であって、性欲と大義は大いに両立可能である。
 しかし、これはこれで問題なのだ。性欲で仕事を疎かにするようなしぶさんは俺のしのぶさんではない。堕ちるようでは勃たぬのだ。
 つまり、南雲隊長が堕ちると大義に資する。しかし、しのぶさんの魅力が減じて性欲は損なわれる。
 しのぶさんは堕ちない。大義が危うくなる。しのぶさんの魅力は高まる。決起が危うくなるほど勃興するから、決起の前夜だからこそ会わねばならなくなる。
 見通しのきかないゲーム状況というか、とりあえずボールを南雲さんに投げて、後は均衡のわからぬモヤモヤの中を漂いながら、柘植は性欲と大義の兼ね合いを放置するのである。


 大局的に事件を眺めれば、決起について柘植は諦念まじりである。ただ性欲には確信がある。埋立地に南雲隊長は必ず成敗にやってくる。俺様が惚れた女だから。やってこないようでは、やはり勃たぬ。それで、最後はマンガのようなしのぶさんのメス顔である。もう少し未来を見たくもなろう。彼は性欲と大義のモヤモヤを「未来」と呼んだのであった。