コーカサス - アドバンスド大戦略

 東部戦線で完勝を続けると、モスクワからウラルを経て最終的にコーカサスへ到達する。これらのマップはいずれも包囲戦がテーマになっていて、内周する陸上部隊と連動して空挺部隊を外周させることになる。現在のコーカサスホットスポットだ。時事ネタとしてコーカサスマップを取り上げたい。

 前述の通りコーカサスも攻勢ルートは二重包囲の形になる。陸上部隊スターリングラードに到達後に反転、南下してノヴォロシスクを目指し包囲を完成させる。空挺部隊は外周してトビリシエレバンを経由し遥かバクー油田を目指す。

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 ウラルを越えて到達したコーカサスには実に手ごたえがない。強いて難を挙げれば、バグーまで長駆するの空挺部隊の横腹に不安がある。内周する陸上部隊が外周部隊の側面を守らねばならないだろう。スターリングラードも一見したところ面倒で、手前をドンとヴォルガが阻んでいてモスクワと地形が似ている。したがって、今回もモスクワ4pz同様の迂回を試みることにした。スターリングラード北方のサラトフで渡河し、そこから南下して裏手からスターリングラードに突入するのである。
 これが失敗であった。
 距離が長すぎてこのまま迂回を続ければ補給のために一旦攻勢を停止せざるを得なくなった。これでは完勝が危うくなってしまう。けっきょくヴォルガ河手前で力尽きる形となり、河を渡らず南進して正面から突っ込む羽目になった。スターリングラードは正攻法でも簡単に堕ちたので、史実のブラウ作戦通りロストフを落としたあとそのまま東進してスターリングラードに突入すべきだった。ただ、スターリングの北で迂回をあきらめた時、思い出したことがあった。これはクルック・ターンではないかと。
 クルック・ターンとは何か。
 WWIの開戦初期、国境を突破したドイツ軍はパリに迫りつつあった。以下、シュリーフェン・プランの図を参照したい*1

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 最早お馴染みの包囲作戦である。当初の計画では外周する第1軍はパリを迂回して包囲する予定だった。ところが他にも理由はあるのだが、この第1軍、外周を徒歩で長駆したために力尽きパリの手前で迂回してしまった。その側面を突かれた結果、ドイツ軍は総崩れとなった。
 ちなみに、前に取り上げた湾岸戦争の左フックでは外周部隊は空中移動して包囲を完成させている。

*1:瀬戸利春「マルヌの奇跡」『歴史群像』第53号, 2002年6月, 53頁