『冬の華』と牛乳

 周知の通り『冬の華』(1978)といえば牛乳である。筋だけを見ればコテコテのやくざ映画である本作には、ジャンルムービーにそぐわない生活感、景物の情報量がある。そのアンバランスを象徴する小道具が牛乳なのである。
 『冬の華』にとっての牛乳とは何よりも悪の記号である。本作は横浜が舞台で藤田進の地元やくざが関西と揉めている。関西の出先機関の元締めは岡田眞澄である。この人は慶應中退のインテリやくざで、牛乳でブランデーを割る男と侮蔑を以て劇中で紹介される。
 牛乳割りを作る岡田眞澄の絵はショッキングである。牛乳で割る是非はともかくとして、ワインクーラーに突っ込まれた紙パックの巨大感に目を奪われる。せめてボトルに移し替えて冷やせなかったものか。しかしボトルの牛乳は別の場面で既出なのだ。
 冒頭。出所して横浜に戻ってきた高倉健が、女房役の田中邦衛の用意したマンションに赴く。部屋はやくざ映画離れしている。照明は青のテーブルランプだけで、家具は広い部屋にベッドとテーブルだけである。
 このやくざミニマリズムメルヴィルの影響があるんじゃないか。殊に配色は『仁義』のイヴ・モンタンの変な部屋そのままである。
 テーブルに着いた健さんはトーストにジャムをぎこちなく塗布する。その傍らに鎮座するのが牛乳の巨大なボトルである。いや、そこに牛乳があるのは普通である。ところが、終盤になるとこの牛乳ボトルがあってはならない場所に再登場し、普通でない意味合いが出て来てしまう。
 ラスト、その部屋で高倉はドスを磨き始める。組を売った小池朝雄をこれから刺しに行くのである。その傍らにもなぜか巨大なボトル入り牛乳が鎮座していて、ドスと牛乳という喜劇じみた対比法が出来上がる。
 岡田眞澄の紙パック牛乳も後半で再登場する。藤田進亡き後、横浜の組織は岡田の軍門に半ば下る。関西との酒席で歓談する横浜の幹部たち。その一人である
曽根晴美が岡田の牛乳パックに手を伸ばしてしまうのである。あれほどバカにしていた牛乳割が横浜に浸透してしまったのだ。
 紙パックは岡田眞澄に関連しないところでも暗躍する。高倉が兄の大滝秀治を訪ねる場面である。二人は公園のベンチでアンパンを三角パックの牛乳で流し込む。こうなると、本質は牛乳ではなく容器の素材にあるように見えてくる。劇中で岡田と高倉が面を突き合わせる場面はなかったと思う。ただ大滝秀治の三角パックを通じてこのふたりはかろうじて繋がったのである。
 大滝秀治の媒介性は姉妹編といっていい『駅 STATION』(1981)にも認められる。『冬の華』がコテコテのやくざ映画に対しこちらはコテコテの刑事ドラマである。しかし刑事ドラマにしてはやはり景物の情報量が濃密で、その最たるものが倍賞千恵子の飲み屋だ。
 この話、冒頭で大滝秀治が高倉に説教をしている。ふたりは道警の警察官であり大滝は高倉の先輩である。次の場面で二人は検問に駆り出される。免許書拝見と大滝が車を覗き込むと、いきなり車内から銃撃されて退場である。
 この北海道は架空北海道で治安が悪い。劇中で四、五件ほど射殺事件が起こっている。後々、高倉の上司に平田昭彦、同僚の刑事に竜雷太が現れて、あまりの七曲署ぶりに気が狂いそうになる。出だしが普通のドラマだから面食らうのだが、刑事ドラマをやる気満々なのであり、大滝は冒頭その身を以てこれがコテコテの刑事ドラマであることを宣言したのであった。


 『冬の華』は寄る辺なき男の話である。娑婆に出てきて居場所がなくなっていた男はベージュのステンカラーで横浜の繁華街を歩く。見た目はやくざではなく会社員であり、ただ立てられた襟がかろうじて違和感を醸し出している。
 あのミニマム部屋で高倉のメタな違和感が爆発する場面がある。舎弟たちと謀議をする高倉のフルショットである。上背のある高倉の体つきは現代的である。ところがそこに乗っかっているのは昭和もろ出しの顔面なのである。この不安定な感じは『冬の華』のそれを要約するものだが、同時に、役者を賤業と見なす高倉の疎外感がメタに露見しているようにも思われた。