ビング・ウェスト『ファルージャ 栄光なき死闘』

ファルージャ 栄光なき死闘―アメリカ軍兵士たちの20カ月 ビング・ウェストは海兵隊のイデオローグといっていいから、イラクの荒廃した街に近代をもたらそうと海兵隊がやってくるノリにはなる。ところが結末は逆である。これは近代が滅ぼされる話であり、近代を担うキャラクターを設定しその悲酸な末路を通じて近代が滅びたという嘆じがもたらされるのだ。
 物語の達成の鍵は事件の真の当事者が誰なのか作者が間違えなかったことにあるだろう。外からやってきた海兵隊よりも現地住民の方が当事者性は高いはずだ。しかし飽くまで近代化を是とするスタイルなので武装勢力を立てるわけにはいかない。
 本作は近代を個々人の心性の一形態と見なし、その心性の保持には勇気が欠かせないとする。ファルージャに近代をもたらす過程が人々に勇気を強いるよう設定されていて、そこで最も勇敢なキャラクターを抽出される。海兵隊でも武装勢力でもない。ゲイリー・クーパー的類型を担うイラク人が主人公なのである。本作は西部劇だといっていいだろう。
 ファルージャで近代の最前線に立つ現地住民は公共インフラに関わる自治体のエンジニアたちである。水道と電気を復旧させ市中のごみを除去するためにエンジニアたちはアメリカ海軍設営隊と活発に交渉する。ところが、数日もすると姿を現さなくなる。米軍の駐留が生活向上に資しては困る武装勢力に脅迫されたのだった。
 武装勢力を排除せねばならない。しかし中東中から集まってくる彼らをいくら殺害しても終わらない。住民や部族の長老たちは誰が武装勢力か知っている。武装勢力への同情と恐怖から密告する者はいない。
 イラク軍の元将軍が武装勢力との仲介を買って出たことがあった。提案を受け入れた米側はファルージャから引き上げ将軍たちのチームに市政を任せた。ファルージャにはたちまち武装勢力の検問所が置かれ、シャリーアが厳格に施行される。アルコールを売った者、口紅やアメリカの雑誌、ポップミュージックのCDを売っていた店主は鞭打たれる。武装勢力は現地やくざを使ってヨルダンとの間を往復しているトラック運転手を脅し、盗難車を売りさばき、誘拐して身代金を取り始める。
 市中には現地の国家警備隊が駐屯している区画があり、ここだけが武装勢力の支配を免れている。警備隊の大隊長はスレイマン中佐といって元バース党員で空手の有段者である。駐留米軍大隊長は彼のことをエリオット・ネスと呼び信頼する。このひとが本作の主人公といっていいが、現実的なスレイマン中佐はアメリカ人の情熱についてシニカルである。米軍がスレイマンの部隊と合同パトロールを提案すると部下は誰もやってこないと諫める。我々と一緒のところを見られた者はのどをかき切られるという。
 スレイマンの立ち位置は微妙である。彼は武装勢力の元締めたちを知っているが米軍には伝えない。他方、米側の要人が武装勢力に包囲されると、彼が迎えにやってきて宿舎までエスコートしてくれる。
 近代化の担い手としては州知事のブルギスの方が明確だ。彼は自治体の再建に力を尽くし、そのために息子を武装勢力に誘拐される。アルジャジーラは涙ながらに異教徒に協力したことを悔いるブルギスの姿を放映する。息子を解放してもらうと一家そろってヨルダンに逃れる。
 勇気の喪失とともに近代が頓挫するこのエピソードはそのままスレイマンにも適用される。スレイマン武装勢力との緊張状態が崩れるのである。
 スレイマンの部下の一人がモスクに連行される。激怒したスレイマンは10名ほどの部下を引き連れモスクに向かう。海兵隊が支援を申し出るが断る。モスクでは導師の一人が、アメリカと共謀しているとスレイマンを非難。スレイマンはこの導師の顔を引っ叩き、部下を解放しないと大隊を引き連れて戻ってくると叫ぶ。
 数日後、モスクの近くの道ばたにスレイマンの惨殺体が発見される。死の直前にイラクの人々を裏切ったことをわびて泣いているスレイマンの姿がアルジャジーラで放映される。


 本書は、スレイマンに移入した受け手にとっては溜飲を下げる結末になっている。スレイマンの出身部族が報復を行い、下手人たちの死体がファルージャ郊外に転がるのである。血縁部族の報復は反近代の事象であるから、近代化を是とする立場からすればこの結末は複雑である。保守派の中東観が近代を目指すとすれば、最後に自らを相対化したことにはなるだろう。