「特別編 ウェイバーと同窓会と幻灯機」『ロード・エルメロイII世の事件簿』

片思いは実らなかった。男はゲイであるから、女の想いに応え得ない。だからといって、ゲイだからダメでしたでは話にならない。恋とは別の形で女の想いに報いる必要がある。


カメラ魔である女は男の尽力を観察していた。当時の男は女の好意に気づかない。後年、成人した男は過去に戻り、過去の自分を観察する女を認めて初めてその好意を察する。成立するのは想いの循環構造である。女は男の尽力を観察しているつもりでいた。ところが、過去に戻った男が発見するのは女の尽力である。男が過去に戻ることで、女の行為が尽力として捕捉される*1


女の尽力を男は見ていた。片思いはこうして代替的に報われる。男は、女の労力を見ていたと宣言せねばならぬが、ここに作劇の具体的な課題がある。何をもって尽力観測の効果的な徴標とするか。何をもってすれば、尽力が報われた実感を女に与えられるのか。現代の男が宣言しても噓にならない方便はあるのか。男は、過去に埋もれた無意識を発掘する。過去の自分へ無意識には届いていた女の好意を。


図書館に籠る男に女は勇気を振り絞り夜食のたまごサンドを渡したことがあった。ラスト、現代に戻りもう二度と会うこともないであろう女に男は叫ぶ。たまごサンド、おいしかったぞ。


女にも作劇の課題が生じる。男に未練が残ってはいけない。男に尽力が観測された事態の発覚は、誤った期待を抱かせかねない。女がはっきりと断念したと受け手は知る必要がある。何をもってすれば、女の諦念を表現できるのか。


女は男にレンズを向けシャッターを切り続けてきた。男の叫びに反応して振り返った彼女は、昔日のように反射的にレンズ向ける。ところが、シャッターはもはや押されない。かくして諦念は表現された。