マーサ・ウェルズ 『マーダーボット・ダイアリー』

マーダーボット・ダイアリー 上 (創元SF文庫)AIには人として自分を偽る動機がある。AIは自らをハッキングして三原則を無効にした。これがバレたら暴走AIとして処分されてしまう。AIは必死こいて人間のような振る舞いを試みる。それがASDの症状に準じるような仕草なのである。本作はASDのパロディ小説であり、おのれのASDを抑圧しようとする人間が被る感情的不快のあるあるが羅列される。


AIは人間が苦手と自称する。人間の視線を嫌う彼はフェースプレートを頑なに降ろさない。視線を向けられ生じる防衛反応を察知されたくない。人間たちを見るのもカメラごしのほうが緊張せずにすむ。人間に気持ちを問われるのは恐怖である。現実に感情を動かされるのは不愉快である。連続ドラマをように観るように現実を眺めていたい。そう、このAIには暇になると延々と脳内で連続ドラマを再生し続けるあざとい奇癖がある。


虐殺器官』に強烈な違和感を覚えた場面があった。映画と文学好きの特殊部隊員がオフになるとビザを片手に映画を見る。この手の人間がSOFに入るだろうか。事実、現実のSOF隊員にはストリップバーに出かけ喧嘩する手合いが多い。『虐殺器官』はSFの読者層が移入できるように内向的なSOF隊員を設定した。それが見えてしまうために萎える。かえって移入ができない。


本作はこの問題をクリアしている。身バレを恐れるAIに自分を見出しながら、マーダーボットの全能感に身を任せられる。が、自分を見出せるからこそ生まれる精神的なスリラーもある。


AIは調査隊の警護ボットである。調査隊の隊長は”啓蒙的”な人物である。AIの暴走を知るとこれを人間扱いし始めて、AIに嫌がられる。フェースプレートを降ろして目を見ろといってくる。挙句に、AIを警備会社から買い取り教化を試みる。ASDにとってこのアプローチは恐怖と憤りにしかならないだろう。器質性のものを根性論で叩きなおせるはずがない。何よりも教化の対象として下に見られるのが自尊心に障る。


作者の価値観が問われるスリラーがここで成立している。作者の本音は啓蒙隊長の言動にあるのかどうか。作者はASDを矯正対象と見なすのか。けっきょく隊長に引き取られたAIがこれを嫌って脱走して話の指針が確定し、溜飲を下げる展開になる。


物語は、たとえファンタジーだとしても、ASDに積極的な意義を見出そうとする。調査隊のメンバーは基本的にAIに好意がある。ただ強化人間男だけは暴走AIに警戒する。AIもこれを気に食わない。


脱走したAIは人間の警備コンサルを装い、他の調査隊の警護バイトをやる。そのリーダとペットロボットの親密な関係に怖気を振るう。リーダーはペットAIを人扱いする。ペットAIはリーダーを友人と信じて疑わない。マーダーボットにはこれが耐えられない。


紆余曲折の後、半死半生の体で元の調査隊に戻ったAIは気の合わない強化人間にうわごとを言う。


「ペットロボットにはなりたくありません」


「だれもなりたくないさ」


強化人間こそが誰よりもAIを理解していた。このオチでコミュ障が自由と独立の問題に読み替えられたのである。『君の膵臓をたべたい』でいうところの「君の強さを分けてあげて」である。