アンディ・ウィアー『プロジェクト・ヘイル・メアリー』

プロジェクト・ヘイル・メアリー 上現代と過去が並走する構成は何だろうか。記憶喪失物の体裁である。目覚めた主人公男には状況がわからない。ところが過去の事情が方々に挿入され、彼が記憶を取り戻すまでもなく受け手には事情が察知される。記憶喪失物がこれでは成り立たない。


心理学の実験によれば、難しいフォントで問題を出されると被験者は慎重になってかえってミスが少なくなる。これと逆のことが起こっている。人物造形についていえば本作は概して『三体』水準であり、出てくるキャラはみな平板である。これに侮ってしまい、記憶喪失物を損なう現在過去並走の構成もミスだろうと思わされる。序盤の終わりでかかる構成が誤誘導だと明らかになる。何かを隠したいがために過去が挿入されていたのだ。


これはこれでよい。が、役割を終えた過去並走は以後もつづいていく。最初から時系列を積み上げる方式ではなぜ駄目なのか、疑問がどうしても生じてしまう。最後まで並走構成を全うする意味は一応ある。主人公が現況に至った過程について最後に明かされるネタがある。しかし、並走の構成が合理化されてもなお釈然としないのである。これについては後で言及する。


他にも難題がある。中盤に入るとジャンルが変わり、ファーストコンタクト物になる。これが本筋たる工学解決SFを台無しにする。工学的探究の進行が異星人との交渉によって遅滞してしまう。異星人のオーパーツが工学的探究自体を損なってしまう。


他方で、並走してきた過去回想が次第にイデオロギッシュになってくる。工学探究の現在パートに対して過去はより社会経済の文脈で事態にアプローチする。過去編の事実上の主人公は、オランダ系のストラットという現場主義の権化のようなオバハンであり、要はメリル・ストリープのパロディである。


過去編で彼女が根性を発揮するにつれて、話はここでも『三体』を思わせるようなアンチリベラルへと傾倒していく。太陽の活動が低下して氷河期になってしまう。だったら温暖化を邁進せよ。探査船には女性は乗せるな。この根性論がピークに達する箇所こそ、時間並走構成の最後の合理化が行われる場面なのだ。


なぜ過去を並走する構成にしたのか。主人公男は徐々に記憶を取り戻す謎の薬を投ぜられて打ち上げられていた。では、なぜ記憶を失って搭乗する必要があったのか。


探査船は片道切符である。男は資格はあるのだが搭乗メンバーではない。ところが発射の直前に事故で搭乗予定者が四散する。泣き咽ぶ根性なしの主人公男にメリルは平手打ちを喰らわせる。もはや男を探査船に乗せるほかなくなると、作者の本音が出始める。男は搭乗を拒絶する。曰く、自分は本来教師であり、地球に残って、苦難の時代に対応できる子どもを育てたい。その方が人類に貢献できる云々。メリルは激昂する。


「この童貞野郎!」


臆病を隠すべく子どもを出汁に使ったのが彼女には許せない。曰く、貴様はずっと逃げてきた。書いた論文を人が気に入ってくれなかったからといってキャリアを捨て、クールな先生だといって崇拝してくれる子どもたちという安全圏に逃げこんだ。失恋するかもしれないから、本気でつきあった人はひとりもいなかった。だから30過ぎても独身だ(これは言っていない)。


このメリルはミサトさんだったのだ。


フィクションが解決すべきなのは工学的問題ではない。工学では解決できない、男の人生という文芸現象こそ解決すべきである。では主人公男の課題をどう料理するか。


三つの解法が想定できる。変わる。現状維持に肯定的な視座を持ち込む。生の営みを俯瞰視する。どの解法でもかまわない。いずれにせよ、受け手に何らかの感化を与え得るだろう。


ところがである。ここまで明確な文芸的課題を提示しておきながら、これに対応する答えが用意されないのである。頑として搭乗を拒絶するシンちゃんに手を焼いたミサトさんは、記憶喪失薬を投じて昏倒状態にした彼を無理矢理えヴぁーに押し込むのである。徐々に記憶を戻すうちに、男は諦念して任務に励むだろうと目論まれ、事実彼は状況に順応する。


物語の構成はかくして合理化されるのだが、文芸的課題がズタボロである。工学論と根性論という互いに異質な主題に話が引き裂かれてしまった。並走構成はむしろその産物に見えてしまうのだ。