非定型核家族社会

Moral Basis of a Backward Society拡大家族は孤児を厚く遇するものである。両親に準ずる紐帯がオジオバに生じるので孤児は大家族の中に包摂される。孤児がシンデレラになるには核家族が前提となる。が、核家族の社会が必ずしもシンデレラを量産するわけでもない。


50年代の南イタリアはシンデレラの宝庫とされる。住民は養い先で虐待された思い出に事欠かない。


孤児院が充溢すれば核家族社会でもシンデレラを減らせるだろう。社会インフラの供給に乏しいイタリア南部では、校舎や孤児院は老朽化し必要な扶助に欠けがちだ。行政を当てにせず慈善に依存しようにも、南イタリアは病的なほど徹底した核家族社会である。近所づきあいはあっても、引っ越しをしたらもはや他人であり、旧隣人と邂逅しても互いに挨拶を交わすことはない。寄付を募っても応じるものがない


これはおかしな話なのである。行政が浸透した都会で核家族が発達するのはわかる。南イタリアは貧村の社会である。インフラの供給が乏しいのなら、それを補うべく拡大家族が発達して然るべきである。あるいは、開拓期のアメリカのように慈善団体等の中間組織が発達をみるはずだ。いかなる経緯でこの貧村は核家族の社会になったのか。


図式的な話をしよう。


傾向として中央集権制は拡大家族(血縁部族)を発展させる。中央集権は末端にまで行政を及ぼせない。当てにならない行政の代わりに血縁部族が自助をやる。地理的にも中央集権制と血縁部族の間には親和性がある。広い土地がなければ拡大家族は成り立たない。中央集権は広大な平原や砂漠にしばしば誕生する。


他方で、核家族封建制とセットになる。封建制は行政を浸透させる。ゲルマン法には領民に対する領主の義務が仔細に列挙されている。領民は血縁部族を結成して自助をやる必要がない。民事が起これば領主が裁判をやってくれる。行政が不在ならば、血縁部族が武装して強制執行をやるはめになる。封建制は血縁部族を解体するのだ。


地理的にも封建制核家族は補完関係にある。地形的に隔てられた小平野が方々に点在すれば中央集権は阻止される。家族制度を見ても土地がなければ核家族の土壌となる。


中央集権制と拡大家族、封建制核家族。この組み合わせで社会は安定するはずだ。行政不在の核家族南イタリアはあってはならない社会なのである。


近視的に見れば、イタリア南部の核家族は小農化の産物である。イタリア半島統一後、近代国家の重税に耐えかね、多くの農民が小農に転落した。巨視的に見ても、イタリア半島南部の地形には拡大家族の成立に有利な大平野の余地がない。半島を東西に分断するアペニン山脈は歴史的イタリアに中央集権の誕生を拒んできた。制度的にも地理的にも、ほんらいは封建制-核家族で安定する社会なのである。にもかかわらず、なぜ荒廃するのか。中央集権でないのなら、なぜ行政が浸透しないのか。


南イタリア人の伝統的な行政不信は容易に起源を説明できる。あまりにも為政者が頻繁に交代したため政府が機能しなかった。中央集権・封建制というよりむしろ無政府に近い。ところが、アナーキーに対応すべき拡大家族は大平原に欠くために発達しない。問題は絞られてくる。発達すべき封建制の政情を不安定にしたものは何か。


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イタリア半島の地理はDQIIのローレシア大陸を彷彿とさせる。中央の山脈が分断された平野が海岸線に沿って南北に伸びている。平野の大きさではなくその形が問題なのである。十字軍からWWIIに至るまで欧州に出入りを試みる際、半島の回廊のような平野が海上と内陸を結ぶ通り道になってしまった。侵入者の往来が政権の滞留を許さないのである。


最後に本書の提言。行政を浸透させれば核家族社会は安定するはずだから、自治体にもっと権限を移譲すべきである。救急車の導入すらローマの認可が要る現状を何とかしろ、とある。