ルーシャス・シェパード 『鱗狩人の美しき娘』

竜のグリオールに絵を描いた男 (竹書房文庫)説明しがたい状況である。生物部のギークスがクイーンビーをさらって部室に監禁し、リケジョに洗脳するのである。アンチ・オタサー文学とは一概には言えない。なぜクイーンビーをさらう必要があるのか。状況はセンシティヴで、ギークスは特別支援的な境遇にある。生物部の顧問が彼らに生きがいを与えんと、県の発表大会に参加を目論む。が、如何せん学力が及ばない。顧問は一計を案じ、迷い込んできた女をさらったのである。アンチではなく変則的なオタサーであり、ここまでは作者の邪念とは言えない。


しかし、部室に理系男が迷い込んでくると、ダンス・ウィズ・ウルブズ的というか、太宰的邪念が全開となる。

その男は三十代前半の植物学者で、痩せてはいたが、手の指は太くがっしりとして、茶色い髪にはくしをあてた様子がなかった。顎の長い馬面は、地味なようでありながら特徴的で、見るものすべてに少しばかり当惑しているような、もの問いたげな表情をいつも浮かべていた。青い両眼は大きくて混沌としていて、虹彩に緑色と薄茶色の斑点が散らばり、体のほかの部分に比べると驚くほど優雅な印象があった......

特別支援的環境の上にリケジョに洗脳されたクイーンビーは理系男に岡惚れする。舞台設定がダンス・ウィズ・ウルブズ邪念を円滑に発動させるためのセットアップなのだ。が、やはり筋が進むと簡単に邪念だと割り切れなくなる。



この連作SFの目指すところは工学SFだろう。一作目の『竜のグリオールに絵を描いた男』は工学を本筋に回収できないでいた。本作は決してそうではない。実験でヤクを合成してしまった男は依存症に堕ちる。工学SFがジェリー・シャッツバーグ映画のような文芸モードへ飛躍する。ただ、部室でいくらでも合成できるために薬が経済生活を侵さず、ニューシネマになりきれない。オタサーにも文系の邪念にもニューシネマにも全振りできない。互いがそれぞれの効果を中和してしまう。


紆余曲折の末に、男は頓死し女は部室を脱する。娑婆に戻った女が結婚した男は、「穏やかな物腰といい、控えめな話し方といい」かつてのヤク男に似た研究職であった。なんだけっきょく邪念じゃねえかとうれしがりながら、読者はその男に自分を仮託して鼻腔を膨らます。それまでの邪念の打ち消し合いがタメやじらしとなって、最後の邪念を受容させて呉れるようだ。