スペルマは天城峠を越えて

「やさしくしないで」はかなしい。花苗の想いは男の何かに届きはした。背後で打ちあがるH-IIは射精の暗喩である。ところが、届いたからこそ少女は想いが絶たれたと知る。発射されたスペルマは自分には向かってこない。天空を目指して飛び去ってまった。男は「わたしよりもずっと遠くを見てた」のだった。スペルマが目指すのは深宇宙よりも遥かに遠い明里の子宮である。


かくして男は明里に呪われた。深宇宙探査機の殻の中で男のスペルマは凍結し、彼は不能となる。しかもスペルマは方角を間違えている。明里を目指して深宇宙を進むほど、かえって子宮からは遠ざかりスペルマは愈々凍てついていく。スペルマを解凍するはずの子宮は彼の心の中にこそ鎮座する。明里も同じくらい想ってくれてるはずだ。この思い込みを客観視できて初めて、スペルマは呪いから解放されるはずなのだ。



天城越え』(1983)は秒速5センチメートルの清張的解釈である。少年は道連れとなった田中裕子に惚れてしまう。しかし裕子は娼婦だ。少年は、知的障碍者の土方に穢される憧れの女を目撃する。しかも嬉々として(尺も長い!)。蹂躙されるのならまだしも、嬉々としてやられているから余計に口惜しい、という清張世界。少年は土方を殺害し、その下手人として裕子を刑事の渡瀬恒彦に売ってしまう。


この話は渡瀬の行動が分かりづらい。事件から30数年後、退職刑事の渡瀬がかつての少年たる平幹二朗を訪ねる。土方殺しの捜査資料の印刷を平の印刷所に依頼するという実にイヤらしい嫌がらせを渡瀬がやる。オッサンになっても裕子を忘れられない平はショックで持病を悪化させ昏倒。誰も救われない結末となる。


事件はもう当時の基準としては時効である。平幹二朗はそれこそ昏倒するほど悔いている。そっとしてやれと思うのが人情だが清張世界はこれを許さない。


渡瀬にも事件はトラウマになっている。渡瀬は事実上、裕子を拷問死させている。無実の人間を殺めさせた平を倒すことで罪の重さから解放されたい。ここで平と渡瀬の動機がかみ合ってしまう。平も罪を贖いその重さから解放されたい。実は、とてもそうは見えないけれど、みんな救われたのである。



「ねぇ、秒速5センチなんだって」
何がそうなのかわかるはずもない少年は戸惑うばかりだった。しかし今や堂々と答えることができる。スペルマの飛翔する速度であると。スペルマは深宇宙よりも遠い子宮に追いついたのである。