フラストレーションとサスペンス

過ぎにし夏、マーズ・ヒルで エリザベス・ハンド傑作選 (創元海外SF叢書 16)桜花抄の序盤を思い起こせばよい。金融一家にムサビ臭い男女が生誕した。虚業を嫌う一族から男女は孤立し連帯する。殊に男子は兄弟に加虐され、女は庇護の役回りを担う。階級脱出の定型であり、やがて男女が互いの才能に動揺を覚える点に変奏がある。バトルアスリーテス大運動会のあかりと一乃である。一乃はあかりの庇護者を気取っていたが、自分の才能が彼女に遠く及ばないと知ると動揺する。女も男の歌唱力を知り動揺してしまう。が、怪我で脱落する一乃に対して、こちらのヒロインの顛末は煮え切らない。


男女以外にも一族にはムサビ臭い異端者がいる。叔母である。従弟の歌唱力に動揺する姪に叔母は芝居の才能を見出し階級脱出の介助者になる。姪には叔母の熱意がわからない。才能の自覚はなく学校の舞台で注目を浴びるのは従弟の方だ。才能の存否を巡るサスペンスがそこに成立する。


役者経験のある演技指導の教師と叔母が会話している。女には内容が気になって仕方がない。教師は男の芝居に満足げである。男の芝居に際した叔母は口を引き結び、鋭い目をしている。驚きなのか不満なのか、女はその表情の解釈を巡り悶々とする。あるいは叔母には男に才能があることが不快なのか。


才能に関する叔母の見解は工学的である。放置されては潰されてしまう。馴致がなければ開花しない。工学的見解が姪たちを階級脱出させようと叔母を動機づけ、二人をブロードウェイ観劇に何度も連れていく。男は叔母の工学的見解を拒む。多動気質の男にはできない相談である。ブロードウェイの帰り、男は夜中のハーレムに気まぐれで降車し引率の叔母を当惑させる。憎悪が男の方へと誘導され、女に才能があってほしいと思わされていく。階級脱出の話が望ましいのなら叔母の工学説に準拠したくなり、無軌道な男が叔母同様に癪に障る。そうでないと才能の存否を巡るサスペンスが成り立たない。


叔母が姪にロンドン留学の話をする。不快な男の方に才能があるフラストレーションは一気に解消される。叔母の力では一人しか洋行できない。従弟の方が才能があると女は訴える。叔母にしてみれば馴致不能な才能には意味がない。


男は女の階級脱出に不味い反応をして、これまた溜飲を下げさせてくれる。涙をこらえて脱出を讃えるのがお約束であるが、「ぼくなら行かない」と洋行話に反応して帰宅して自室を破壊する。これもまた類型だろう。男は男で女の才能が気になっていた。筋は一貫して女によって観察され、男の内面は秘匿されていたのだった。


以降は後日談になるのだが、才能の実存をめぐるスリラーには結論が出たと思わせて、まだこれをつづける。最初は打落水狗で、女はキャリアを順調に積み上げ男の生活は荒れる。ところが歳月を経ると女のキャリアは頭打ちとなり端役どまりになる。しかし食い詰めるまでは落ちない。断薬に成功した男はアルバムを出そうとしている。結論で導出されるのは中庸の侘しさであり、それがノスタルジーに援用される。


叔母の人を見る目は何だったのか。徒労感もノスタルジーの事が過ぎ去った感を抽出するのだが、それでも腑に落ちない。才能があるのか否か。肯定と疑惑を往来した恋愛のようなサスペンスが惰性となって、事態を中庸化したように見える。