『秘密の森の、その向こう』 Petite maman(2021)

八歳の少女は過去に戻り同い年の母と親友になる。少女は相手が子ども時代の母だと知る。母は相手を将来産むことになると知る。少女が現代に戻ると、大人になったあの少女が暗い部屋に座っている。これは恐怖映画の叙法である。母が亡霊のように見えてしまう。


いつものように接してくる母は、幼少の頃に出会った娘を覚えていそうにもない。あの少女はもうどこにもいない。生体としての母は少女の残骸である。この異物感が母を亡霊に見せる。母のよそよそしさはむろんタメである。娘が母に記憶の継続を観測した瞬間、彼女は少女と再会する。


娘の視点で眺めれば事態は梶尾真治的である。母の視点ではテッド・チャンになる。


少女が母親となって生体としての娘と再会しても、娘はあの少女ではない。人格とは記憶である。娘が母に少女の記憶を見出した刹那、母に少女の人格が降臨したように、娘が過去に戻り子どもの自分と出会わなければ、娘にあの少女は降りてこない。


母は二十年以上待ち続けた。娘に少女の記憶が宿り、彼女と再会する日を。もどかしいことには、記憶の容れ物となる生体としての少女は常にそばにいる。少女の外貌をした少女でないものに終日接している。これがつらい。


『燃ゆる女の肖像』(2019)のラスト、女は劇場のバルコンにいてこちらに視線を送る最愛の女に気づいているのだが、まともに見ることはない。もし視線を交わしてしまったら後戻りできなくなる。しかし...というあの焦らしが変奏されている。