仮文芸

現代邦画・SF・経済史

人間はこの大地に詩人的に住む

技術への問い (平凡社ライブラリー)状況をありのままに受容すれば対応する答えは自ずと励起されるはずだ。観念論の説くこの現場主義はありのままに受け取るための観察技法を課題としていて、その限りにおいて人間主観的なのだが、現場に包摂される感覚を「受容」に見出せば一転して没我的となる。


あらゆる答えがどこかに伏蔵されている前提は、事態を神の既知と見なす神学者の世界観に由来する。彼らは答の束を真理と呼んだ。答えの探索は人間の営みである。それを人間の行為の中に真理が現れる過程と見なせばやはり人間の主観は失われる。


古代の教説はそれぞれの人間にそれ自体の固有性を割り当て、固有性の発揮を自由の要件とした。この古代の自由には現場への対応が人の主観を失わせる機制とパラレルになるような矛盾がある。固有性を発揮すれば固有性に値する行為の他に取りようがなくなり自由は失われる。


技術は伏蔵した真理を開蔵するやり方のひとつである。職人はあらかじめ製作物の形相を看取し、それを具体化すべく材料に手を加える。真理から見れば人間は真理が地上に滞在するための領域を設定する手段であり、開蔵のために用立てられた道具にすぎない。人間はやはり真理の奴隷に見える。


動物は本能的に正しいことしかできない。彼らは盲目的に有益なものを追い有害なものを避け、それ以上は何もしない。人間には意識があるために本能にしたがうだけでは正しい行為に至れない。人間から見れば正しさは意識の呼び込む感性のノイズの中に埋もれている。


真理の開蔵は真理と人間の共同事業である。


無限の状況に対応する答えの束を収容するため心理の容積は無限である。これを地上に解放して実体化する際に真理は時間による限定を受ける。時間を創造するのは意識の作用である。


人間は存在のソナーマンだ。意識の呼び込む外乱に絶えず干渉される人間にとって真理はかすかな呼びかけのかたちで現れてくる。開蔵への参画は真理の呼びかけに耳をすませて応答する労力を要求する。それは傾聴であって隷属ではない。人間はそのように呼びかけられ要求された者としてのみ隷属を脱して自由となりそのつど人間でありうる。


科学者は実験によって自然が真理を告げるかどうか、どのように告げ知らせるか調査する。哲学者や詩人ならば言語の秘密の内に伏蔵された概念を長い言葉で述べ広げ、この地上に展開するだろう。

水に沈んだ月かげです
つかのま浮かぶ魚影です
言葉の網で追いすがる
百に一つのチャンスです


堀口大學「詩を漁る」